張万文さんは1960年代に中国上海の名門復旦大学を卒業した後、甘粛省の甘南チベット自治区や蘭州市で数学の先生を勤めました。定年退職した後、張さんは自分はまだ元気で、専門知識を利用して貧困家庭の子供に援助を提供すべきだと思い、義務教育の家庭教師を務めてきました。
記者が張さんと会った時、張さんは数人の子供に授業をしているところでした。十数平方メートルの部屋で、3、4人の子供が一緒に数学の授業を受けています。張さんは髪の毛がもう白くなっていますが、子供と一緒にいると青春の活力に溢れています。
毎週、夜四回にわたって子供に授業をしますが、教室として一つの部屋を借りました。この部屋は十数人の子供の臨時の学校となっています。これらの子供は貧困家庭の子です。張さんは授業の費用を取りません。
4年前、張さんの家で補習する王喆さんのお父さんが亡くなりました。このため、お母さんはアパートの掃除係で毎月の収入は僅か数百元で、貧しい生活を送らざるを得ませんでした。これに心が打たれて、張さんは義務で貧困家庭の子供のために補習することを決心したのです。
「私は貧困家庭の子供をよく理解しています。幼いとき家も非常に貧しかったからです。どうせやるので、一人に教えるにはむしろ数人を一緒に教えた方がよいと思って、貧困家庭の子供、特に最低生活保障家庭の子供を考えました」と話しました。
その時から、教え子の学費を免除しました。子供たちを安心して勉強させるため、時々、自分のお金を使って食品や学習用品を買ったりしています。子供たちは張先生を「張お爺さん」と呼んでいます。
張さんは柔軟な教え方で、長年の経験があるため、教え子の進歩は速く、成績はクラスでトップとなっています。これについて、張さんは、「先生が知識を教えながら、人を育てるのです」として次のように話しています。
「先生の水準が生徒の方に反映されるべきだと思います。先生のレベルがいくら高くてもその教え子の成績が駄目だったら、先生がまったく関係がないとは言えないでしょう」と話しました。
雨佳という男の子は成績は下の方でしたが、張先生のところで2年間補習した後、成績が大きく伸びました。これについて雨ちゃんは
「この前、勉強したものはあやふやでしたが、張先生の教えを受けて、しっかりと分かりました。先生は非常に熱心で、親しい感じで、貧しい子供に食べ物を買ってあげたり、自分の家に泊まらせたりしています」と言いました。
張さんは授業のときは厳しい先生ですが、生活の中で親しいお爺さんと言われています。教え子達は張先生から豊かな知識を学んだほか、無私で、他人を援助する精神を学びました。
張さんは教育と社会のために寄与し、自分が動けなくなるまでこの義務教育を堅持していくつもりです。
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