雷鋒は中国人民解放軍の模範的な兵士です。1940年に湖南省長沙市の貧しい家に生まれ、小さい時両親を亡くしました。生活も決して裕福ではありませんでしたが、党と政府の援助を受けて、学校に入学。そして自ら進んで、工場や農場に入って、困難な仕事やつらい作業を引き受け、人民のために働き続けました。1960年、中国共産党に入党。そして人民解放軍に入隊しました。雷鋒に関するエピソードはいろいろありますが、そのうちのいくつかご紹介します。
ある日、中国東北部の撫順市が大洪水に見舞われ、多くの人々が被害を受けました。そのニュースを聞いた雷鋒は、すぐに貯金していた203元を被災地に寄付したそうです。60年代、特に解放軍の兵士で、報酬は給与ではなく、わずかな手当てしかなかった雷鋒にとって200元は大した金額です。一般の人でも給料の1年分、霊峰にとっては、それ以上の金額だったでしょう。雷鋒は、自分のお金は全て人のために使いました。そして、自分はジュース一本さえ買わずに節約生活を送ったそうです。
雷鋒は自らの利益を一切考えず、物心両面で、人のため、人民のために働き続けました。1962年8月15日、雷鋒は瀋陽部隊運輸中隊分隊長として、勤務中に22歳の若さで亡くなりました。22年の短い人生でしたが、雷鋒は人々に愛とやさしさを分け与えました。彼の有名な言葉に「同志には春のように温かく接しよう」というのがあります。思いやりの大切さを訴えた名言だと思います。
1963年初頭、この雷鋒の功績が初めて報道されました。3月5日、「雷鋒同志に学ぼう」という運動が、毛沢東氏の提案によって始まり、彼の日記の出版、映画制作なども行われました。
雷鋒の滅私奉公精神は、今までも人々を感動させます。今も雷鋒は「善行」、「親切」の代名詞であり、お年寄りはもちろん、子どもの誰もが知っている英雄です。『雷鋒日記』には、彼の善行の数々が書き記されています。「雷鋒同志に学ぼう」運動が始まった3月5日は雷鋒記念日として、毎年、学生たちが公園や街路などの掃除をする「奉仕の日」となっています。また出身地の長沙と殉職地の撫順には「雷鋒紀念館」が開設されています。
現在、雷鋒の精神「為人民服務?人のために尽くす」は多くの中国人が祖国のため、大衆のために奉仕するモットーとしており、「どんな仕事であっても、人民のために奉仕する。人に対して、親しみやすく和やかに、真心を持って接するように……」という雷鋒の精神は中国人の道徳規範とされているのです。
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