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二代目が振り返る巴金と井上靖の友情

2011-11-21 09:45:37     cri    

 11月14日、巴金の娘、李小林さんと井上靖の息子、井上修一さんが面会し、著名な文豪と知られた父親同士の友情を語り合った。

 大作家巴金の生誕107周年の記念日を前に、日本の文豪井上靖の長男、井上修一さんとその娘の浦城いくよさん、そして日本文化交流協会一行が14日午後、上海に到着し、巴金の生家を訪れた。

 両国の氷を溶かす旅

 李小林さんによると巴金と井上靖の初対面は1961年3月26日。巴金が北海道の井上の家を訪れ、コーヒーを飲みつつ、文学の話題に花を咲かせた。初対面にもかかわらず、昔からの友達のようだったという。

 2人が初対面を果たした当時、中国と日本はまだ国交を回復していなかった。巴金は当時を振り返り、「日本に行ったときは所々で障害にあったが、井上靖先生のように日中友好活動に熱心な方が、常に援助の手を差し伸べてくれた」と語っていた。

 二人の友情は30年以上続いた。『敦煌』などの名著で知られる井上靖は生前27回中国を訪れている。中国文化への思い入れが強かったのだ。井上は中国に来ると必ず巴金のもとを訪れた。一年に数回面会することもあった。井上修一さんは、「父に友達はたくさんいましたが、父は『巴金先生は数少ない親友の一人だ』と言っていました」と振り返った。

 本心で語り合える友達

 1991年1月30日、井上靖がこの世を去った。巴金は病室でこのことを知った。巴金は親友を失った悲しみを『井上靖先生を思う』にしたためた。「これまで翼がついたように飛び回っていたが、行きつく先に着いてしまった。心を誰かに刺されたようだ。これは夢ではない、永遠の別れだ。彼は行ってしまった、美しいものをたくさん残して。」

 巴金は晩年の文章で、「三十年は無駄ではなく、2人の作家の友情もいたずらに消え去ることはなかった。我々が半生を尽くして築いてきた日中友好活動は永遠に光を放ち続ける。」と記した。

 「西洋人と比べ、日本人の魂と中国人の魂は近く、お互いを理解しやすい。」「国民の友情は個人の友情の下に成り立つ」--井上靖は亡くなった。しかし、彼は一生をかけて尽くした日中友好活動にこのような金言を残した。

 これに対して巴金も「友達とは腹を割って向かうあうべき」「友達になるということはすべてをさらけ出すことだと思っている」「人々の友情は大海のように深くて広い。一回一回の訪問、一回一回の心の触れ合いが友達同士の理解を深める」と言葉を残した。

 井上靖を供養するために、巴金は10万円を白土吾夫に渡し、花を井上靖の墓前に手向けるよう頼んだ。その数年後、老舎の息子、舒乙が井上靖の墓前で拾った竹の葉を巴金に渡した。この葉っぱを巴金は生涯大切に保管した。

 巴金と井上靖、日中文豪による30年の友情は永遠に消えることなく輝き続けるだろう。

 「中国網日本語版(チャイナネット)」より

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