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老北京胡同の物語<4>

2011-06-28 11:23:56     cri    

   

  

 35号院と37号院は、中国の末代皇后である婉容(えんよう)の元実家です。彼女の父親は当時の内務府大臣、郭布羅・栄源で、「女の子も男の子と同じように学校へ通うのが当たり前だ」という考えを持つ、見識のある方です。婉容は子どもの頃からこういう教育環境のもとで、北京にあるアメリカ人経営の教会学校に通いました。ピアノや英語のほか、ジャズ音楽にも深く興味を持つ多才さ。このように美貌、才能、家族の力が結集された女の子は、皇后として最適な人材でした。1922年に婉容は第12代清朝皇帝、つまり末代皇帝の愛新覚羅・溥儀(あいしんかくら・ふぎ)と結婚します。当時17歳でした。世間は、婉容が皇帝に嫁ぎ、安定した生活を送るだろうと羨望しますが、彼女にとって人生の悲劇の始まりでした。24年後、婉容はアヘン中毒の禁断症状と栄養失調のため、中国吉林省延吉の刑務所で病死しました。

 北京語の中で「一人得道(yi ren de dao)鶏犬昇天(ji quan sheng tian)」ということわざがあります。「一人が権勢を得ると、その一族郎党までも出世する」という意味です。婉容が皇后に冊封(さくほう)されたおかけで、彼女の元実家が位置する帽儿胡同は一躍スポットライトを浴びるようになりました。現在では一般住宅になり、平屋の南側には2つの扉が作られ、帽儿胡同の35号院と37号院になりました。

    


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