中国不動産大手董事長の語る日本
ーー万科企業株式有限公司 王 石董事長
上海で日本留学帰国組向けに不動産開発
1992年、とう小平氏の南方視察にともない、上海が大きく発展するチャンスがありました。南の深センで不動産事業をスタートした万科は、上海で総面積60万平方メートルに達する住宅開発を手がけるチャンスがありました。
ターゲットをどこに置けばよいのか。リサーチしている時に、上海出身の日本留学経験者が浮上してきました。当時の統計によりますと、日本に留学した上海人はすでに10万人に達し、しかも、その中、年間7000人の人が帰国しています。
「この日本留学層にターゲットを置いて、彼らの日本での滞在年数や、蓄えた資金などを調べました。彼らの貯蓄の約4割は不動産投資に回せるのではないかという分析に基づいて、開発した住宅は大成功を収めました。」
日系エレベーターメーカーと強い信頼関係
1995年当時、加熱気味の経済成長に対して、中国政府はマクロ規制の政策に踏み切りました。資金繰りが悪くなったため、万科の不動産開発の工期が著しい影響を受けました。
契約によって、広州日立エレベーターから仕入れた百基のエレベーターも工事現場に搬入されたままで、取り付ける予定が立てられません。
「このままだと、エレベーターの品質に支障が出かねない」。違約金の支払いを覚悟して、広州日立と返品について話し合いを始めました。が、先方からは意外な返答が帰ってきました。
「この百基のエレベーターはどれも標準規格なので、返品されてもほかで使えますから、返品を受け入れます。違約金は不要です。」
それ以降、万科で使用するエレベーターはすべて広州日立から仕入れることにしました。万科の年間注文台数は当時の年間200基から、13年後の今では、3000機にまで増えました。
「中国企業が日本企業と協力する時は、往々にして、日本企業は気難しい、商談しにくい、話しにくいというイメージがあります。確かに、私たちの体験でも、日本企業は契約通りに物事を運ぶので、堅苦しいというイメージを持つ時があります。しかし、広州日立エレベーターの場合は、たいへん長期的な目で私たちと付き合ってくれたので、本当に深い印象を受けました。」(つづく)
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