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今週のゲストは先月、「村山首相談話を継承し発展させる会」訪中代表団の一員として中国を訪問した日本外務省中国課元課長の浅井基文さんです。
1972年9月、田中角栄首相と共に、中日国交正常化の最終協議で北京を訪れた日本側外務省のスタッフに、当時31歳の浅井さんがいました。外務省入省の時から、「いつか自分たちの手で中日国交正常化を実現させたい」との願望がありましたが、その前後はオーストラリア勤務でした。7月に上司に呼び戻されたものの、「雑務の担当で、肝心な交渉の作業には参加できなかった」とやりきれなさがありました。
しかし、その後の外交官人生では1980~83年、北京にある日本大使館に駐在、1983~85年は中国課長に就任。在職中の1983年11月、胡躍邦総書記の訪日の受け入れでは大活躍しました。第1次教科書事件で、国交正常化10周年のお祝いもできなかった当時、両国のトップ会談が実現できた舞台裏では何が起きていたのか。ベテラン外交官の体験した1970年代~80年代半ばまでの中日外交をめぐって、お話を伺いました。
【プロフィール】
浅井基文(あさい・もとふみ)さん
1941年7月 愛知県生れ
1963年3月 東京大学法学部中退
1963年4月 外務省入省
国内勤務 アジア局、条約局など
国際協定課長(78年~80年)
中国課長(83年~85年)、地域政策課長(85年~86年)
外国勤務 オーストラリア(71年~73年)、ソ連(73年~75年)
中国(80年~83年)、イギリス(86年~87年)
1988年4月 文部省出向(東京大学教養学部教授)
1990年3月 外務省辞職
1990年4月 日本大学法学部教授
1992年4月 明治学院大学国際学部教授
2005年4月 広島市立大学広島平和研究所所長(2011年3月31日退職)
2013年11月 「村山首相談話を継承し発展させる会」共同代表
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