木寺大使:「日中関係の安定的な発展は国際社会の利益」
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中日交流の現場で活躍していらっしゃる方たちにじっくりとお話を伺う「CRIインタビュー」、今回はスペシャルゲストをお迎えしました。日本国在中国大使館の木寺昌人大使です。
「私の名前は辛亥革命のあった武昌という町から字を取って、『昌人』にしたと父から聞いています」
誕生日は10月10日。中国では、辛亥革命の発端となった「南昌蜂起」が勃発した日です。
そして、「母は大連の生まれで、小さい時から母に良く大連の話を聞いていました」
このように、生まれた時から中国と不思議な縁で結ばれているという木寺大使。2012年年末の赴任からまもなく2年が経とうとしています。これまでの2年間をどう振り返るのでしょうか。中日両国の関係構築をめぐり、まだまだ課題が多い中、将来に向けた中日関係のあり方をどのように考えているのでしょうか。
インタビューの準備として、CRI日本語部は公式のSNSを通して、木寺大使への質問を募集したところ、多くの方から書き込みがありました。その中からピックアップした質問に、木寺大使が真摯に答えてくれていました。
休日に奥様と北京の公園を散策していた時、すれ違った中国人から声をかけられ、気ままに会話を交わすのが好きだという木寺大使。赴任後、中国メディアからの取材も多く受けています。全国紙から地方紙、新聞からネットまで、記事と共にニコニコした表情の写真が掲載されています。メディアとの付き合いを通して中国の変化をどう感じたのか。また、青少年との交流イベントにも多く出席している大使は、大学生のお嬢さんと同世代の中国の若者と接し、彼らをどうご覧になっているのでしょうか。
一方、これまでの2年間は、中日両国の関係は国交正常化以降、最も厳しい時期とも言われています。中国の首都に暮らし、中国人の日本への思いを肌でどのように感じたのか?
今回、大使の声の出演を通して、日本国大使の素顔に少しでも触れてください。そして、将来に向けた両国関係をどう描けば良いのか、リスナーの皆さんも一緒に考えていただければと思います。詳しくは番組をぜひお聞きください。
【プロフィール】
木寺昌人(きてら・まさと)大使
1952年 東京都出身
1976年 東京大学法学部卒業後、外務省に入省
1991年 アジア局中国課首席事務官
1993年 経済協力局無償資金協力課長
1995年 五十嵐内閣官房長官秘書官、野坂内閣官房長官秘書官
1996年 梶山内閣官房長官秘書官
1997年 在タイ日本国大使館公使
2000年 大臣官房会計課長
2001年 在フランス日本国大使館公使
2002年 在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部公使
2005年 経済局審議官
2006年 総合外交政策局審議官(国連担当大使)
2008年 中東アフリカ局アフリカ審議官兼第四回アフリカ開発会議事務局長、国際協力局長
2010年 大臣官房長
2012年 内閣官房副長官補
2012年11月 中華人民共和国駐箚特命全権大使
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