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昆明と藤沢を友好交流でつなぐ 小松碧さん

2014-07-15 15:35:38     cri    

聶耳記念広場鳥瞰図

小松碧さん


 1935年7月17日。海水浴場で知られる鵠沼海岸。悲しい水の事故がありました。子どもたちと潜りっこをしながら、水遊びをしていた青年が突然襲ってきた波にさらわれて亡くなりました。23歳の中国人青年作曲家で、のちに中華人民共和国の国歌の作曲者として知られることになる聶耳(じょうじ)です。

 現地藤沢では、毎年、聶耳の命日になると、「碑前祭」という記念行事が行われます。

 聶耳を通して結ばれた中国と日本の人と人との絆について、藤沢市在住の小松碧さんにお聞きします。

 小松さんは中国語に精通し、苗族を始め、中国の少数民族の文化や歴史についてたいへん詳しく、また昆明と藤沢を友好交流でつなぐためのボランティアにも尽力しています。そんな小松さんに聶耳とはどんな青年で、彼の死がその後どのようにして国を超えて、人と人とを結ぶ友好の絆になっていったのかについて、お話を伺います。

 中国人でも知らないことをたくさんしていただきました。ぜひお聞き逃しなく。

 【プロフィール】

 小松碧(こまつ みどり)

 1951年東京生まれ。学習院大学史学科卒業。日中学院本科研究科修了。

 中国語翻訳者。

 90年湘南日中友好協会事務局長、2005年同協会副会長、2013年同顧問。

 ■写真&資料で見る聶耳を通じた人と人との交流

1986年4月、葉山峻藤沢市長の招きで2度目の訪日をした聶叙倫。

1995年2月、聶耳の三兄、聶叙倫。湘南日本中国友好協会の招きで3度目の訪日の際、藤沢市の聶耳の碑にて

 
郭沫若による、聶耳のための題辞(1965年7月17日)

 
秋田雨雀(日本の作家)による、聶耳のための題辞

 ■ 中国国歌作曲者・聶耳を通じて続く〝人と人との交流〞

 2013年10月1日付「中国と日本」掲載/湘南日中友好協会・柳田秀憲会長寄稿

 神奈川県藤沢市の鵠沼海岸を歩くと、中国国歌「義勇軍行進曲」の作曲者・聶耳の記念広場に行き着く。聶耳は来日中の1935年7月17日、鵠沼海岸で遊泳中に24歳の若さで死亡したが、以後も人々から讃えられ、54年に記念碑が造られた。81年には藤沢と昆明が聶耳生没地の縁で友好都市提携を締結するなど、今でも聶耳を通じた〝人の交流〞は続いている。そんな聶耳の碑について、記念碑保存会の一員として奔走する湘南日中友好協会の柳田秀憲会長に寄稿してもらった。

 日中が共存共栄し世界平和への貢献をめざす私たちの意に反し、友好は大きく後退しているかのようだが、今だからこそ友好協会の存在が輝くのだと信じつつ、湘南藤沢での活動の一端を紹介したい。

 まず、義父の元藤沢市長故葉山峻の話から始めなければならない。峻は1972年から6期24年にわたり市長を務め、衆議院議員を最後に政界を引退、3年前に他界した。革新市政の旗頭として『人間都市ふじさわ』を掲げ他市に先駆け平和・福祉・環境や文化施策を展開。日中友好にも注力し、81年に昆明市と友好都市提携を締結した。昆明は聶耳生誕の地、藤沢は聶耳終焉の地で、ここから両市の本格的な交流が始まった。

 戦後、マルクス主義思想家の福本和夫が聶耳顕彰を呼びかけ、記念碑の建立運動が興った。峻の母、葉山ふゆ子ら市議が奔走、当時の市長も理解を示し、54年には中国紅十字会会長李徳全女史の訪日に合わせて建立式典が行われた。叔父の湘南日中副会長葉山水樹(日中法律家交流協会副会長)は「不測の事態に備え有志警備隊が組織され、若かった自分も動員された」と回想する。

 碑は台風で流され、65年に再建、86年に記念公園に拡張された。山口文象デザインのモダンな記念碑に、郭沫若揮毫の「聶耳終焉の地」、豊道春海揮毫の秋田雨雀の碑文「聶耳を記念する」が花を添える。この粘り強い活動の結果、今では党派を超えて多くの市議と県議が記念碑保存会に名を連ねている。毎年命日に行われる碑前祭では、行進曲を吹奏する。長年にわたる活動は中国大使館からも高い評価を得ており、昨年の生誕百周年式典では程永華大使から直々に謝辞を頂いた。

 保存活動は行政主体の活動だが、民間での活動は湘南日中が担う。同日中は市内では中国語・日本語講座を柱に展開し、昆明では学生対象の日本語弁論大会を主催。優秀者を日本に招待し、ホームステイや日本の学生との交流を通して相互理解を図っている。次世代育成は何にも増して重要で、長く続けたい。周年事業としては、数百人の市民訪問団を組織して昆明を訪れ、書道や華道、茶道などを通じた文化交流も行う。30周年には保存会の超党派市議団が雲南・玉渓の聶耳故居や、上海の国歌記念館を視察し理解を深めた。

 自治体外交は中央政治の影響を受けるが「住民に最も近い行政」である。鵠沼の海を愛し、没した中国青年。その死を悼み功績を讃えてきた藤沢市民。国民以前に私たちは「人間」だ。この人と人との関係を大事にしていきたい。

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