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日本人スタッフのつぶやき233~枇杷膏的記憶・学校(1)~

2013-03-04 13:54:52     cri    

 (中原の「つぶやき」コーナーは、その半生を北京で過ごした一日本人のちょっとした物語となっています)

 

 さて、ストーリーからだいぶかけ離れてしまったので、少し話を戻そうではないか。内装がされていないコンクリートの空間に引っ越した1993年の私たちは、それから2ヶ月近くの間工事のオジサンたちと共にその空間を共有したのだが、幸いな事に私と妹は、そのうちの1ヶ月間「学校に通う」という義務の為にいささか程そのワンダーランドな空間から脱出する事ができたのだった。

 私たちがまず通ったのは、日本人学校。日本人学校には、日本と全く同じ雰囲気と環境が整っていて、そこにいる間だけは外国に来たという感覚がたちどころに消えてしまうようだった。

 ただ、当時はそこに通う生徒の99%が何れ日本に帰るという暗黙の前提があり、誰も彼もが日本以上に日本であること、そして日本で暮らす日本人以上に日本人であることに必死だったように思えてならない。もちろん、あくまでたった1ヶ月在籍しただけの私の印象だし、それは時代背景がそうさせていたのだろうけど。

 そう、それは今ほど中国が発展していなかった時代。情報入手が容易でなかった時代。そして、生徒の99%の家庭が"任期"で何れ日本に帰ることが決まっていた時代。

 今の北京はといえば、駐在員の家族だけでなく、中国人と家庭を築いて子供を持つ家族や現地採用者の家族、事業拠点を北京に置いている家族などなど、さまざまな形で北京に滞在する人が増え、日本人学校の形態も大きく様変わりしたことは想像に易い。かつてそこに通った私も今や人の親。学校というひとつの場所がひとつの国の時代背景と共に歴史を重ねていくことが目の前に見えるというのは、なんとも嬉しいことである。

 ~つづく~

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