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<成功物語>民謡を歌う趙桂強夫婦

2012-06-06 10:24:37     cri    

























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 中国の広西チワン族自治区大新県に暮らす、民謡を愛する趙桂強は現地の各種民謡を学ぶ傍ら、自ら新しく20曲の民謡を創作しました。

 趙桂強一家は大新県から約3キロ離れた場所で生活しています。

 聞こえているのは、趙桂強と妻の黄秀紅が、自らが収録した「錦綉の田園」という民謡です。

 63歳の趙桂強は子供のころ、親とベトナムで生活していました。1950年8月に、親と共に故郷に戻り、民謡が好きになりました。この地では、11種類の民謡が昔から伝えられてきました。歌の内容は、愛情や労働を褒め称える歌や、涙を誘うもの、当時の社会を風刺するものなどです。民謡の愛好者は祝日や休憩の時などに、歌を歌います。

 趙桂強は「十歳の頃から、民謡を歌い始めました。当時、青年倶楽部があり、皆、そこに集まり、歌を歌いました」と述べました。

 子供の頃、趙桂強の家はとても貧しかったので、小学校を卒業することが出来ませんでした。その後、建築業や漁業などに従業したため、自らの生活経験が深まり、音楽に対する感情も豊かになりました。

 1979年、趙桂強は鎮の文化センターに就職し、鎮のすべての文化芸術劇団の業務指導を請け負いました。この時から、彼は現地の民謡の研究に身を投じました。

 趙桂強は「演出する時、他人の歌ばかり歌うことは出来ません。劇団のために、自らが脚本や曲を創作しなくてはなりません。当時、私が率いた桃城アマチュア劇団は南寧市での文芸祭りに参加し、自らの作品で第一位に輝きました」と述べました。

 歌と踊りを愛する黄秀紅は、多芸多才の趙桂強に魅せられ、結婚しました。1983年、大新県から3キロ離れた山の奥に移住し、友達から借金をしてスピーカを購入、借りている果樹園に舞台を作りました。その後、音楽の愛好者は各地から、ここに集まり、民謡による交流を行っています。

 趙桂強は「2005年、夫はソロコンサートをを開きたいと言いましたが、自分の作品がなければ、その夢は実現できません。それで、この時から、歌の創作を始めました」と述べました。

 今まで、趙桂強夫妻は20曲あまりの歌を創作しました。彼はいつも、夫婦でコンサートを開き、自らが創作したオリジナル曲を皆の前で歌います。そして、この地の民謡を全世界に広めていきたいと話しています。

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