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<孔子のふるさと山東省>莫言、出られないふるさと

2011-01-24 10:28:59     cri    

 中国の文学界において莫言さんは個性的な作家と言えます。農家出身である彼はそれにコンプレックスを抱え続けており、長年来、莫言さんの一連の作品は故郷である山東省高密県にあるでたらめで、苦しく、素朴な山村を描いてきました。

 その作品にある故郷は「地球上で最も美しく最も醜い、最も俗世間からかけ離れ、最も世俗的、最もきれいで最も汚く、最も酒飲みで最も愛せる場所だ」としています。莫言さんの小説の多くは架空の「高密東北郷」という場所を舞台にして、「マジックリアリズム」で中国の農村を幻想的かつ力強く描いてきました。

 莫言さんは「高密東北郷を中国社会の生き写しにした」として、次のように話しています。

 「記憶の中の高密東北郷はとても広いもので、童話の世界のようでした。広くて奔放で荒っぽい。小説の中の「高密東北郷」には様々なの要素があって、想像上のもの、発展していくものであり第3の空間と言えます」。

 莫言さんは1955年、山東省高密県のある農家に生まれました。その時の中国は貧しくて、お腹いっぱい食べることさえできませんでした。飢えていたことは莫言さんの子供時代の最も深い記憶です。今でも、スーパーに行く際、食糧の香りを嗅ぐ習慣があるということです。

 「その当時は、食べものでなくても何でも口に入れました。樹の皮や屋根に生えた草、腐った干し芋などは美味でした。飢餓の一番の影響といえば、全てを忘れて、食べることばかりを考えることです。ですから、僕のような人には、今でも世界で一番の宝物は食糧で、黄金やダイヤモンドではありません」。

 このような苦しかった子供時代は莫言さんの文学人生に大きな影響を与えました。その作品の多くは悲しくて重苦しいことを描いていますが、ブラックユーモアな手法で書かれています。莫言さんは「自分のユーモアは涙ぐんだユーモアだ」としています。

 「あの時代には、皆、自分の未来や出口が見えませんでした。このような環境の中で、ユーモアは普通の人が生きていく方法となります。自分を解放し、圧力を軽くして、自分を慰める方法です。極めて苦しい環境の中でユーモアが生まれます。それはブラックユーモアで、でたらめのユーモアとなります」。

 悲観と絶望のほかに、莫言さんの記憶の中で、時代によってもたらされた希望もあります。この希望は母親から来るものです。

 莫言さんの作品は女性を讃えるものだと評価されています。その作品の中の主人公、『赤い高粱』の中のきれいでワイルドな「僕のおばあちゃん」戴鳳蓮、『白檀の刑』の中の風流でおしゃれな「犬肉西施」孫眉娘、『豊乳肥臀』の中のたくましくくじけない上官魯氏などは性格は違いますが、苦しい環境の中で頑張って生きている人です。

 莫言さんは「これらの人物のインスピレーションは母親から来たものです。母親があの時代に頑張ったことで女性の優しさと偉大さを感じ取りました」として、次のように話しています。

 「西側の評論家を含む多くの読者から、なぜ僕の作品には女性が最高で、女性が全てを包容し、全てを創造するという印象があるのかと聞かれたことがあります。これは子供の頃の経験と関係があるのではないかと思います。大事を前に、危険に遭遇した際、女性の行動、母親の行動、おばあちゃんの行動は父親、おじいちゃんより落ち着いて頑張っていました。事実として、母親が正しかったのです。どんな大きなことに会っても、歯を食いしばって頑張れば、乗り越えられます」

 1976年、莫言さんは故郷を後に解放軍に入りました。この時から、高密は記憶となり、ずっと彼に染み付いていて、最後に小説のトレードマークにもなりました。この後、莫言さんは「高密東北郷」を舞台に青少年時代の経験を題材に『透明のニンジン』と『白い犬とブランコ』を発表して、一夜にして有名になりました。さらに、『赤い高粱』が張芸謀によって映画化され、世界的に名が知られる作家となったわけです。

 莫言さんは感覚が鋭く、心が繊細な作家で、作品も色彩や音声、映像などによって読者の感動を促し、さらに、心理的反応に対する細かい表現によって、読者の心を煽る力を持つ作品が生み出されます。

 『透明のニンジン』はこのスタイルの代表作で、文化大革命時代の農村に対する描写、人間の心に対する掘り下げ、美しい幻想に対する憧れをいずれも子供の視点によって見せています。莫言さんは「作家は五感で文章を書くものだ」と言って、次のように話しています。

 「小説を書く時、五感を動かします。最初は無意識的なものでした。例えば、樹を書く場合、その形を書くだけでなく、木の葉や枝の匂いを思い出します。樹の異なる季節、異なる日差しでの色の変化が見えます。樹を見て、その匂いを嗅いで、さらに、木の葉を摘んで味わうものです」。

 1990年代に入って、莫言さんは長編作品の創作に専念し始めました。1995年、莫言さんは83日間で当時大きな論争をもたらした『豊乳肥臀』を完成させました。論争の元は本のタイトルでした。一見、モーションをかけているようなタイトルですが、民族の受難史を書いた作品です。この小説によって、莫言さんは作家人生の全盛期を迎えました。

 この後、莫言さんは『白檀の刑』、『四十一炮』、『生死疲労』、『蛙』などの作品を世に送り出しました。これらの作品は依然として、農村の暮らしを語るものですが、書き方には変化が見られました。特に最新作の『蛙』は控え目な一面が見られます。

 「最大の困難は自分のパターンを繰り返さないこと。作品が多いと、繰り返す率が高くなるわけです。言葉、ストーリー、パターン、人物像、さらに比喩も制限があります。人は限りなく拡張することはできませんから、作家にとって、次の作品は新しいもので、以前とは違うものです」。

 今、莫言さんの多くの作品は数多くの言語に翻訳され、世界中で読まれています。今の心境について、莫言さんは「文章を書くことによって、名誉や金銭、地位の変化がもたらされましたが、いつまでも抜け出せない苦痛ももたらされ、過去と現在の間で絶え間なく引きちぎられています」と述べました。

 そこで、都会生活に慣れた莫言さんは、時間があれば故郷に帰ります。故郷はもう高粱などなくなり、鉄筋とコンクリートの森になっていますが、莫言さんにとって記憶の中の「高密東北郷」が心を離れたことはありませんでした。

 (翻訳:ヒガシ)

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