北京飯店京樽日本料理有限公司・長濱利勝総経理に聞く
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1985年、北京飯店と日本の会社・京樽の合弁による日本料理店「五人百姓」が北京で開店しました。当時の北京には、日本料理はまだ4軒しかなかった時代でした。
20数年が経った今、大まかな統計では、北京市の日本料理の店は200ー300軒に達していると言われています。北京の一般市民も気軽に日本料理を食べるようになり、また、日系の食品加工企業も増えています。
異国の町で日本の味を守っていく上で、どのような工夫をしているか、さらに、日本料理の市場規模は今後どうなりそうなのか、北京飯店京樽日本料理有限公司の董事・総経理で、北京滞在暦13年になる長濱利勝さんにお話を伺いました。
Q 長濱さんが赴任してからの十数年、来店者には何か変化がありますか。
A 最近は中国人客の数がどんどん増えています。しかし、それでも、全体の7割が日本人で、3割が中国人、残り1割が欧米人などです。ただし、十数年前では、中国人の客は1割しかいなかったので、それに比べれば中国人客が安定的に増えつつあるといえます。
Q 調理師の構成は?
A 日本の京樽から派遣された日本人調理師が一人います。その他、中国人調理師約17名でがんばっています。
Q 中国人の調理師にどうやって日本料理の調理法を身につけてもらったのですか。
A実際に、店舗での実践を通して、技術指導を行っています。このほか、年に一度、日本で技術研修も実施しています。
Q 北京の日本料理店の発展に、どのような特徴が見られますか。
A 1980年代から1990年代初めまでは、ホテル内に日本料理が出来たばかりの時代でした。
90年代半ば以降になると、ホテル以外の店が徐々に出現し、また中国人の方が自分達だけで経営する店もどんどん増えているように思います。
1990年代の半ばから現在までは、店の入れ替わりが非常に激しくなりました。と同時に、高級店、低価格店、とくに低価格店には食べ放題の店が出来て、非常に両極化していると思います。また、最近になって、日本人の、とくに若い人たちが日本風のバー形式の飲食店も作るようになりました。
Q ここ十数年、仕入れにどのような変化が起きていますか。
A 現在、食材に関しては、ほとんど中国産を使っています。日本産を使用しているのは、調味料の一部だけです。魚と肉はすべて中国国内でまかなっています。
食品の安全性確保については、私たちは許可証の持つ業者としか仕入れはしません。時には調理長自ら出向いて買い付けや、食材の検査をする場合もあります。中国のお客様も最近、健康志向の方が多いので、中国でも有機野菜、無農薬野菜が出ているし、肉や魚に関しても、実際にこちらで外国の企業と合弁し、会社が責任をもって、品質管理をして、加工している企業がたくさん出ています。
Q 食材の産地はどういうところですか。
A 肉は大連で日本の黒毛牛と同じ種の牛を栽培しています。魚は大連産などの魚を利用しています。野菜はほとんど北京郊外の野菜を利用しています。今は無農薬や有機栽培の野菜を使っています。日本での仕入れているのは、一部に過ぎません。最近は食材以外のもので、器などの備品を仕入れています。
Q 中国人の客の好む味はありますか。
A 最近では、中国のお客様もお刺身について好評をいただいています。特に、中国のお客様は赤みの魚、まぐろ、サーモン、赤貝などを召し上がる客が非常に多いです。それと、しゃぶしゃぶ、すき焼きといった鍋物は夏でも人気があるようです。これは、中国に来たばかりの頃はびっくりしました。
Q 逆に、中国人客に受けの良くないものはありますか。
A そうですが、個人的な考えですが、同じ鍋物でも、野菜の煮物があまり受けが良くないのかなと思っています。
Q 中国向けの特別メニューとかのようなものはありますか。
A 特にそういったメニューはないですが、それでも、お客様からこういった料理がほしいというリクエストがあれば、できる限り要望にはお答えできるようにします。例えば、中華料理には炒め物が多いので、ある中国人のお客様から、野菜炒めやチャーハンを食べたいとリクエストをいただいたこともあります。
私も来た当初は、日本料理店だからという考えをかたくなに持っていましたが、やはり今はこちらが北京にある店なので、お客さんに満足していただけるなら、私ともできる限りのことをしていこうと最近は考え方が変わりつつあります。
Q 今後はどのようにして個性を打ち出そうとお考えですか。目指す日本食のイメージは。
A 本来は私たちは、持ち返し寿司、茶巾寿司と上方寿司のチェーン店からレストランへと展開してきた店なので、やはり上方寿司と江戸前寿司をメインとした各種日本料理を提供していくと基本的に考えています。
Q 北京の気候や自然は日本と大きく違いますが、この環境の中で、日本的な味を出す上では、どのような苦労がありますか。
A 今、私たちは食材は、ほとんど中国のものを使っていますので、調理スタッフからは、同じ野菜でも、味が微妙に違う場合があると聞いています。ですから、なるべく日本の料理に近づくよう日々努力しています。
それから、北京は日本と比べて四季がはっきりしています。とくに夏場が乾燥していますし、同じ料理でも、季節に応じて、調味料を大目にいれたり、少なめにしたりして、私たちの調理スタッフは日々研究を重ねています。
Q 今後、中国市場におけるビジネスチャンスをどのように見ていますか。
A 今年は北京五輪がありますし、上海でも万博が2010年にありますので、中国はまだまだこれから成長すると思います。当然、中国人も今後は生活のレベルも向上して、娯楽や食べ物や着るものにどんどんお金をかけていくと思われます。そういった意味では、今後もまだまだ日本料理店が中国の皆さんにお役に立てる機会が多いと考えています。(聞き手:王小燕)
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北京、日本料理昔話
北京初の日本料理店はいつ出来たのでしょうか。
今は亡き中日友好協会元会長の孫平化氏の回想録によりますと、それは文革前に繁華街・王府井の東風市場にできた「和風」という店でした。「和風」での食事会に招かれたことのある北京放送OBの李順然氏は、「調理師は中国人で、顧問に日本人に来てもらっていた。日本からの来客をもてなすだけでなく、当時、対日外交第一人の寥承志氏が、北京駐在の日本人記者たちと良くここで朝食会も行っていた」と思い出を語ってくれました。
孫氏によりますと、「和風」が文革でなくなった後、北京にはしばらく日本料理がありませんでした。中日国交正常化が実現した後、周恩来首相と寥承志氏の指示で、北京飯店に日本料理の店が完成しました。しかし、当時、日本人の指導もなければ、店内の雰囲気も味もイメージの中の日本料理と開きがあると寥承志氏は気にしていました。
その後、改革開放によって、北京にも多くの日本料理店が進出するようになりました。しかし、まだまだ北京の人にとって、日本料理はホテルや高級オフィスビルの中でしか食べられない高価な料理であり続けました。この状況が変わってきたのは、ここ数年のことです。現在は路地に面する一般のお店の数が増え、食べ放題や、昼食の定食メニューなども充実しており、サラリーマンでも"自腹"で手軽に食べられるようになっています。また、日本式のラーメンや回転寿司、どんぶりものなどのファーストフード系の店もどんどん増え、昔に比べて、日本料理は気軽に食べられるようになりました。(王小燕)