【観察眼】福島の汚染水を海の涙・日本の恥にするな

2023-08-28 10:25:36  CRI

 8月24日は、世界の海にとっては厄災の1日、日本にとっては恥辱の1日になった。この日から30年以上にわたって、約140万トンに上る福島原発事故による放射能汚染水が太平洋に放出されつづける。12年前の日本は東日本大震災による大津波が福島の原発事故を引き起こした自然災害の被害者だったと言えるが、12年後の今日、日本政府が独断専行で放射能汚染水の海洋放出を強行した瞬間に、福島原発事故による核の2次災害が降りかかることになった。日本は今回、被害者から加害者に変わり、全世界、そして全人類をこの核の厄災に巻き込むことになった。

 われわれと同様に、日本政府がなぜこのような徳義に背く決定をしたのか理解できない日本国民も大勢いるはずだ。放射能汚染水の処置については、海洋放出は唯一の選択ではなく、最も科学的で安全な処理方法でもない。日本国内の有識者や国際社会の多くの科学者や専門家は「科学」と「安全」に基づく処置法について模索し論証し続けてきた。しかし残念なことに、東京電力と日本政府は最初から「便利」な方法しか考えていなかった。彼らにとって、海洋投棄は最も安価で手間のかからない方法だからだ。

 そのため、日本政府は国民への「広報」で、放出するのは「汚染水」ではなく「処理水」であり、飲用水の基準値に達していると絶えず強調してきた。周知のように、日本は資源に乏しい島国だ。いわゆる「処理水」が飲用水の水準であるなら、なぜ国内で循環利用しないのか。福島には日本で4番目に大きい湖、猪苗代湖がある。面積は103平方キロで、「処理水」の貯蔵には十分だ。なぜわざわざ大規模工事を行って海底トンネルまで作って、ALPSでせっかく浄化した処理水を無駄に海に流すのか。もったいない話だ。

 このような行動はむしろ、いわゆる「処理水」が完全に安全無害ではない事実を証明するものだ。安全ではないならば、海に流してはならない。周知のように、海に残留するプラスチックごみの清掃さえ非常に困難だ。放射能ごみならばなおさらだ。福島の汚染水は溶けて崩壊した原子炉の中で核燃料デブリに直接触れた水で、ALPSで浄化されても、60種類以上の放射性物質は完全に除去できない。30年以上も持続的に海に放出する行為は、すなわち慢性的な投毒だ。しかも、これほどまでに長期にわたる関連設備の維持補修や監督管理は難しく、危険はさらに隠蔽されて進行することになる。

 海は国際社会の公共財であり、日本の下水道ではない。日本政府はその他の実行可能な処理プランを十分に検討し論証しないまま、汚染水を一方的に太平洋に流しはじめた。海洋放出の正当性や合法性は証明されていない。浄化装置の長期にわたる有効性も証明されていない。汚染水の関連データの正確性と信憑性も証明されていない。利害が関連する周辺国が共に参画する長期的なモニタリングや処置現場での監督メカニズムは皆無だ。科学と安全を顧みず、目先の利便性しか考えないために、全人類、特に環太平洋の住民に多大な危害とリスクが転嫁された。私利私欲のために全世界、全人類の共通利益を損ねた。日本政府にはそのような権利があるのか。極めて無責任だ。

 日本人の親は自分の子に自国政府の身勝手をどう説明するのか。私は一人の母親として想像できない。日本はいつも「きれい」と言われる国であり、「他人に迷惑をかけるな」と常に子供を教育する国として知られる。ゴミ分別収集でのルール違反には法律により罰則があり、悪質な不法投棄の場合は罰金や、場合によっては懲役まで科せられる国だ。テレビや冷蔵庫、家具などの「粗大ごみ」を捨てる場合は金銭を支払う国だ。日本はかつて、W杯の試合後にサポーターが会場でごみ拾いをして世界の賞賛を浴びた国でもある――。まさかそのような日本が、放射性物質を含む汚染水を海に投棄した。小さな礼儀は尽くすが、大きな道義は持ち合わせない。日本の国際的なイメージは、一夜にして完全に崩壊した。(CMG日本語部論説員)

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