北京
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北京市通州区張家湾鎮立禅庵村
3日から北京を訪問している沖縄県の玉城デニー知事が4日午後、通州区張家湾鎮にある「琉球国墓地遺址」を訪れ、沖縄のしきたりにのっとって先祖を供養し、中国とのつながりを今後もしっかり結んでいくとの意思を示しました。
玉城知事一行は「琉球国墓地遺址」の説明が書かれた看板の下で、沖縄から持参したヒラウコー(板状の線香)に火をつけ、ウチカビ(紙銭)と泡盛を並べてから、黙とうを捧げました。
供養の後で玉城知事は記者陣に対し、「いにしえからここで眠っている琉球のご先祖様に、本当にありがとうございましたと(伝えた上で)、中国と琉球・沖縄とのつながりをしっかりと結び、平和な時代、豊かな時代を作っていくために努めていきたいとお祈りした」と語りました。
玉城知事は「2023年日本国際貿易促進協会(第46回)訪中代表団」(団長:河野洋平元参院議長)の一員として、3日に北京入りしました。通州区では、「琉球国墓地遺址」のほか、北京で亡くなった琉球使節の墓石が収蔵されている通州区博物館も見学したということです。
中国と琉球国の交流史を研究する福建師範大学の謝必震教授によりますと、古代において、中国と琉球国には500年あまりにわたる友好交流の歴史があり、琉球国から明を訪れた人は10万人で、清の時代には20万人を数えています。この中には、険しい船旅や、数カ月から数年にわたる中国滞在の中で病気にかかるなどして帰らぬ人となった琉球人もおり、その墓は、福建から北京までの道中に散在しています。その内、現在の北京市通州区張家湾鎮立禅庵村(古文書には「利禅庵村」と記載)にある「琉球国墓地」には、琉球国貢使、官生、陳情使、都通官など、各地の琉球国墓地の中では最も位の高い14人が埋葬されています。謝教授によると、北京入りした琉球使節たちは活動を終えて福建省に向かう前に、立禅庵村を訪れて墓参りをしてから船に乗っていたそうです。
張家湾は市街地から約36キロ離れています。明と清の時代には京杭大運河の重要な埠頭で、南方の各省から上京する際の玄関口となっていました。(取材:王小燕、校正:梅田謙)