【CRI時評】少年児童すら守れない、米政治家に「民主」「人権」を語る資格はあるのか

2022-06-01 10:31:31  CRI



 1週間前、米テキサス州ユバルディのロブ小学校で銃乱射事件があり、少なくとも児童19人と大人2人が死亡し、全米だけでなく全世界に衝撃を与えた。生き生きとした命が失われたことは、犠牲者の遺族に大きな傷みをもたらしただけでなく、「民主」「人権」を口にする米国の一部政治家の良知を拷問にかけている。

 いかなる国においても、少年児童は希望であり、未来であり、最も保護されるべき弱い立場の一つだ。そうした人々への思いやりは、社会の文明程度を示し、国家の人権発展を証言するものだ。世界唯一の超大国として、長期にわたり少年児童すら保護できない米国の政治家に「民主」「人権」を語る資格はあるのか。

 公表資料によると、米国は人口では世界全体の4%を占めるにすぎないが、4億丁を超える銃が存在し、民間の銃保有数では世界全体の46%を占め、民間の銃保有率は世界一だ。銃による暴力は米国社会の「持病」であり、近年の治安の悪化や人種間対立の激化、暴力的な法執行などによる悪い報いでもある。しかし、米国には、銃乱射事件が絶えず発生しても、「祈る、慰める、演説する」というパターン化した3点セットで済まそうとする政治家がいて、その眼中にある「人権」には、得票に無益な弱者層は含まれず、その眼中にある「民主」の重要な内容の一つが「銃所有者」だ。

 権力と資本が民衆の生命より優先されれば、必然的に多くの人権の悲劇が引き起こされる。銃による暴力という「致命的な」持病を前にして、米国政府のガバナンスの失敗は、「米国式人権」は庶民を守れず、「人権の灯台」はずっと前から暗く光がないことを、世界にはっきりと見せつけている。(CRI論説員)


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