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【怡康アナin山梨】7月26日・天国で安らかに

2015-07-29 18:59:38     cri    

 皆さんは、長野県と中国の河北省が友好提携協定を結んでから、今年で32年目を迎えることをご存じですか。そして、どうして長野県と河北省人民が互いに厚い感情を抱いているでしょうか。私は今日、その経緯を辿ってきました。

 太平洋戦争末期、日本国内の労働力不足を補填するため、多くの中国人が強制連行され、平岡ダムや御岳・上松発電所の建設に従事させられました。飢えや病気、そして不慮の事故などにより、244人の尊い命が失われました。その中の7割が河北省の人でした。この不幸な歴史が二度と繰り返されないよう、そして両国の平和友好と国交回復への願いを胸に、日本の友好人士が遺骨の収集や慰霊の運動に取り込み、その誠意が河北省人民に伝わり、現在の友好関係の礎となりました。

 ということで、戦後70年という節目の年を迎えて新たな平和への誓いを立てるとともに、今月31日に決定される2022年冬季オリンピックの開催地に北京・河北省張家口が選ばれるようにとの願いを込めて、私は「長野県北京放送を聞く会」の西田節夫会長や長野県国際課の土屋孝夫課長補佐、中国国際放送局孔子学堂の責任者と共に12時間をかけて、長野県の天龍村と木曽谷にある慰霊碑を礼拝し、そして満蒙開拓平和記念館を訪れました。

 まず訪れたのは天龍村にある平岡ダム。建設されて70年という現役の立派なダムです。建設当時の写真を見ますと、様々な場面が思い浮かびます。

 このダムは、天竜川の水で得たエネルギーを山の向こう側にある発電所に送っています。

 ダムから車で5分の天竜中学校は、満島捕虜収容所の跡地です。

 こちらは、1964年4月に建設された「在日殉難中国人烈士永垂不朽」の慰霊碑です。長野県の中で一番早く桜が咲くここで、62名の殉難中国烈士が安らかに眠っています。

 平岡ダム近くに建てられたこの碑の管理に携わる中部電力平岡ダム管理所の伊藤正浩主任はダムを見つめながら、「中国の方々の血と汗の結晶で、様々な災害に耐えて日本に電力を提供する今の水力発電の礎を作ったこのダムを見ると、我々は感謝の気持ちでいっぱいだ。そういう意味でも、戦争には絶対に反対。政府が今、法律を変えようとしているが、国民全体の意見を反映できるような法律にしなければいけない」と述べました。

 続いてやってきたのは、民間団体が運営している、全国からの寄付金と地方政府からの補助金で建てられた満蒙開拓平和記念館です。開拓当時、亡くなられた8万人のうち、約半数が長野県民でした。2013年にオープンして以来、予想した5千人を遥かに上回る6万8千人が訪れました。その中の75%が60才以上の方だそうです。日本であまり知られていない歴史を学び、感想を残しました。

 案内して頂いた三沢亜紀事務局長は、「(中国人は戦時中)土地を奪われ、苦しい生活に追い込まれたが、それでも戦後に日本へ帰れない開拓団の女性と子供を受け入れたという器の大きさに感動し、心から感謝をしています。今の若者はこの歴史を学んでいないため、彼らに、この記念館で客観的にこの歴史に出会い、どうして戦争そして誤った国策が進められたのかを考える力を与えられるよう努めている」と話しました。

 最後に訪れたのは、1983年の秋に建立された「木曽谷殉難中国人慰霊碑」です。ここでは当時発電所の建設中、劣悪な環境のもとで、182名の中国人が無念の死を遂げました。

 慰霊碑は緑が生い茂る静かなところにあり、周囲は綺麗に整備されています。慰霊碑に刻まれた烈士達の名前を見ると、思わず悲しい気持ちになりましたが、今一生懸命両国の平和と友好活動に携わる方々を思うと、少し慰められ、これからもその中の一員として頑張っていきたいという気持ちが胸いっぱいになりました。

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