8月13日、「中ロ友好の旅」合同記者団は出発から20日間を経て、8000キロ近く進み、ロシアのエカテリンブルグ市の郊外にあるユーラシア大陸の境界線を渡りました。そこで、「中ロ友好の旅」記者団は正式にロシアのヨーロッパ部分に入りました。
13日午前10時、「中ロ友好の旅」合同記者団はエカテリンブルグ市の郊外にあるユーラシア大陸の境界線記念碑に着きました。この記念碑はウラル山脈の東側にあります。長さ30センチにもならないこの白い境界線はアジアとヨーロッパを区切っています。
記者団は記念碑付近の広場で簡単な儀式を行いました。記者団の総指揮者、中国国際放送局の王冬梅副局長は式典で挨拶し、
「今日、エカテリンブルグ市でこの式典を行うことは特別な意義がある。ここは地理的な境界線だけではなく、アジアとヨーロッパの民族や文化の境界線でもある。『中ロ友好の旅』記者団全員は中国人民がロシア人民に対する友好を抱いて、両国の交流に寄与していきたい」と語りました。
また、エカテリンブルグ市の中国の謝金英総領事も式典に出席し、記者団に歓迎の挨拶をしました。
「中国・ロシア年の記念イベントの重要な一環として、『中ロ友好の旅』合同記者団は数千キロを渡ってエカテリンブルグに到着し、中国がロシア人民に対する友好を運んできた。私はエカテリンブルグ総領事館を代表して、記者団の到来に歓迎の意を表し、ここからユーラシアの境界線を渡り、旅を続けることに、心から祝福をお伝えする」と語りました。
エカテリンブルグ市政府のツチン主任は談話を発表し、記者団の報道活動を高く評価しました。
「記者団のカメラ、取材、放送によって、麗しいエカテリンブルグを紹介して欲しい。エカテリンブルグ人民と中国人民の友情を紹介して欲しい。残念ながら、お酒がないが。お酒があれば、みんなで中ロ友好のために乾杯したい」
記者団の総指揮者尹力氏は「エカテリンブルグから北京まで4943キロ」という標識看板を柱に掲げました。
式典の後、記者団の総指揮者王冬梅副局長は出発のかけ声をかけました。
「『中ロ友好の旅』合同記者団の皆さん、各自の車にお戻れ、ユーラシアの境界線を渡り、出発!」
拍手と歓声を伴って、記者団はユーラシア大陸の境界線を渡りました。これは「中ロ友好の旅」記者団は正式にロシアのヨーロッパ部分に入ることになり、「中ロ友好の旅」の重要な一里塚ともなります。
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