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中日インターネット対話(冬)

2008-11-28 12:13:34     cri    




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 CRI中国国際放送局とNHKラジオセンターが共同で企画する「中日インターネット対話(冬)が12月24日、北京時間午後2:05ー3:30(日本時間午後3:05ー4:30)まで行われました。今回のテーマは、「広げよう 若者の交流」です。中日の若者の交流活動を振り返りつつ、それに携わってきた両国のパネラーが皆様と共に話し合いました。どうぞお聞きください。 

ポスター(クリック)

パンフレット(クリックすると大きな画面が見える)

 アンケートはこちらへ>>

 左:ネット対話を通じて、中日青年の心の架け橋を築こう   劉徳有(中国対外文化交流協会常務副会長

 中:ネットの中に真の気持ちが表れる   万学軍(中国共産主義青年団国際連絡局副局長

 右:ネットで本当の心を知る   孫東民(新中日友好21世紀委員会中国側委員)

 左:ネットの世界に中日友好の果実が実る   高洪(中国社会科学院日本研究所政治研究室主任)

 中:中日ネット対話で友人と交流するのに言葉はいらない   莫言(作家)

 右:中日交流に言葉は要らない 友好を心より祈る  韓雪(歌手)

 パネラーは、以下の4人の方々です。(敬称略)

 北京スタジオには、

 劉 徳有(りゅう・とくゆう)

 1931年7月、中国遼寧省大連生まれ。

 1952年北京に転勤、日本向け雑誌『人民中国』の翻訳・編集。1955年、郭沫若を団長とする中国科学代表団の日本語通訳を務めて以来、毛沢東、周恩来、劉少奇ら中国要人の通訳となる。

 64年より新華社通信の記者・首席記者として15年間、日本に滞在。帰国後、中国外文出版局副局長、中国中華人民共和国文化部部長補佐を経て、86年文化部副部長(次官)に。

 92年、日本の天皇・皇后が訪中した際、北京故宮博物院の案内役を務める。2000年、勲二等旭日重光章を受章。03年、遠山文部科学大臣より日中文化交流はじめ国際交流活動の面で顕著な功績を挙げた功労者として表彰される。

 著書は、『在日本十五年』『日本語の面白さ』『戦後日語新探』『時光之旅』『日本語と中国語』『わが人生の日本語』など多数。翻訳書に『祈祷』(有吉佐和子)『芋粥』(芥川龍之介)『不意の唖』(大江健三郎)『虫のいろいろ』(尾崎一雄)『残像』(野間宏)など。

 万 学軍(まん がくぐん)

 中国共産主義青年団中央委員会国際連絡局副局長

 中華全国青年連合会副秘書長

 1969年生まれ、出身は中国江蘇省淮安市。

 1991年、北京外国語学院日本語文学部卒業後、中国共産主義青年団中央委員会国際連絡部に所属。

 1992年10月、初めての日本訪問。1996年4月からの一年間、日本創価大学国際関係学部で研修。  

 1999年から、中日両国の青年団体に呼びかけ、中国で植林活動を展開し、環境保護に関する青少年交流に積極的に取り組んでいる。これまで、この植林活動に参加した青少年は、日本から1,000人余り、中国からは10万人以上に上る。

 1984年に実施された3,000人日本青年の訪中の続きとして、2007年6月に、「中日青年世代友好中国行」活動を実施し、代表団の中国各地訪問に同行。

 これまで、日本訪問は40回余り。長年、中日若者の交流活動の第一線で活躍している。

 東京のスタジオには、

 中野良子(なかの りょうこ)

 女優 

 1950年5月6日 愛知県生まれ。

 1971年、「天下御免」(NHK)に出演。

 1978年より、映画「君よ憤怒の河を渉れ」で演じたヒロイン「真優美」は、中国で爆発的にヒットし、人気女優になる。

 1984年に、中曽根首相が訪中したとき、総理府の依頼で、テレビの衛星中継のキャスターに起用され、さらに、3000人青年大交流にも参加する。以後、外務省の依頼で世界各国に派遣されている。

 1995年、中国・秦皇島中野良子小学校(しんのうとう なかのりょうこ しょうがっこう)を共同建設した。

 2006年、中国で深刻化する環境問題を訴える中日共同製作の映画『鶴よ!翔べ』に出演する。

 2007年には、1984年の3000人大交流に参加した人など200人が、上海などを訪問したときも、中国から招かれた。

 著書 『星の詩ー国際交流への芽生え』 (2000/12 日本放送出版協会)

 石川 好 (いしかわ よしみ)

 作家

 新日中友好21世紀委員会委員

 2007「日中文化・スポーツ交流年」実行委員会企画委員

 1947年生まれ 慶応義塾大学法学部卒業

 高校卒業後、渡米。先に移住していた兄の元で農業に従事。自身のアメリカ生活に基づいたアメリカ論で脚光を浴びる。その後、日米関係、日系移民史を軸に多彩な執筆活動を展開。10年ほど前からは中国の若い世代の考え方に関心を寄せ、たびたび中国を訪れている。

 2001年4月から2007年3月まで秋田公立美術工芸短期大学学長。

 著書に「ストロベリー・ロード」(大宅壮一ノンフィクション賞)、「日本はアジアの後衛たれ」、「60年代って何?」など

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v 【2007年夏・中日インターネット対話】 2008-11-28 11:59:40
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