中国は凧の発祥の地です。凧は昔、皇族のおもちゃでしたが、社会の発展と共に、庶民の生活に入り込み、中国の伝統的な風俗となりました。百年近い歴史を持っている北京にある三石齋という凧を作る店は今までも、昔の宮廷の制作方法のまま、凧を作っています。
今日はこの店の凧の継承者・劉賓についてご紹介します。
30歳を過ぎたばかりの劉賓は、凧の生産と販売の店・三石齋の3代目です。劉賓のお祖父さん・劉匯仁は若い頃、凧が大好きになり、この店、三石齋を始めました。1980年、劉匯仁は北京の郊外で凧の制作工場を作りました。当時、ブランドや商標はありませんでしたが、三石齋の凧は北京市場の7割を占めていました。
劉賓は子供頃から、お祖父さんである劉匯仁と一緒に生活していました。お祖父さんは8人の孫のうち、凧作りが好きな劉賓だけにその技術を全部教えました。
劉賓は「当時、お祖父さんは凧の作り方を分散して職人に教えていました。一人に一つの段取りしか教えないのです」と述べています。
小さい頃から凧の作り方を学びましたが、劉賓はこれが自分の仕事になるとは思いませんでした。1996年から98年までの間、凧の生産量、販売量及び文化的な商品としても、いずれも好調でした。
当時、中国を訪れる外国人観光客が徐々に増えていたからです。彼らは皆、中国が凧の発祥地であり、北京が凧の主な産地だと知り、記念として凧を買いました。
2000年から、凧の商売は徐々に難しくなりました。劉賓が大学を卒業する年でしたが、お祖父さんが創業した三石齋を継承しました。
劉賓は「2000年、徐悲鴻美術大学を卒業しました。大学の専門はグラフィック デザインでした。私の同級生たちは私が凧の制作に従事することを理解できないと思います」と述べました。
2003年、劉賓は自らのアトリエを設立し、より多くの人々に凧のことや歴史、制作の手順を知ってもらおうとしています。
機械で作る凧が徐々に市場を占有し始め、手作りの工場で働く人も少なくなり、もちろんその生産量も大幅に減少しました。このような問題に直面し、劉賓は凧を販売することから、凧の文化をPRする方針に変更しました。
凧は小さいですが、深い中国の歴史を持っています。三石齋の凧は機械製の凧のように数千メートルの上空までは上がりませんが、凧の作者の思いがつまっています。
劉賓は「私は今後、凧の歴史を紹介する講座を開くと共に、展示会も行います。手作りの凧を世の中に残し、凧が永遠に空を泳ぐように努めていきます」と述べました。
凧は近くで見るのと、遠くで見るのでは感覚が違っています。数百メートルの上空の凧と継承者劉賓の距離は、彼がこの凧と言う民俗を見守る主な拠り所となるでしょう。劉賓が、より遠いところまで歩いていけるよう期待しています。
今日は凧の継承者・劉賓についてご紹介しました。
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