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CRI外国記者取材陣、大連をいく

2009-09-04 14:10:24     cri    


9月3日。観光客を自宅に招き、草の根外交20年の林さん夫婦

 大連は、日本人にとって、万華鏡のような存在だ。時の流れという回転を加えると、極彩色の光を放ちながら、めまぐるしく、美しさを変化させる。いま、また輝きを増した街を訪ねた。

 CRI国際記者団20人は3日午前、北京空港から、飛び立った。中国国際航空のボーイング737型機はたった1時間半で大連空港に。機外に出ると、空気の澄んでいることにまず、気がつく。迎えのバスに乗り、ホテルに。街路樹はロシアから持ってきたというアカシアが豊かな緑で木陰を色濃くしている。取材の支度を整えると、市内の中心部、中山区のコミュニティーを目指した。中山区というのは革命の父といわれる、孫文の雅号、中山からとっている。革命に失敗して、一時日本に亡命しているときに、宿帳に名前を「中山」と記したのが、始まりとも言われている。明日をも知れぬ日々を送る身にとって、左右対称の、つまり、安定を求めたのだろうか、この字体を気に入った気持ちが分かる気がする。

 その孫文ゆかりの中山区の住民コミュニティーの紹介でわれわれを自宅のアパートに向かえてくれたのが、林コウ吉さん(76)、唐玉蘭さん(73)夫婦。彼らは20年もの間、各国から訪れる観光客を自宅に招いては、中国の人々の暮らしぶりを身をもって知らせている。

 大連は、ロシア、日本に租借地として割譲され、中国にあって二つの国の支配下に置かれ、独自の文化を形成してきた。町並みは色濃くロシアの影響が残り、日本の植民地支配の名残りをとどめるビルもいまだに使われている。そのせいか、街の人々は、外国人に解放的だという。

 林さんはこれまでイギリス、アメリカ、ドイツ、デンマーク、日本などから500人以上を自宅に招き、1回1時間くらいを割き、訪問客と語り合ってきた。われわれにもお茶を出し、お菓子やブドウなどを出してくれた。たった3部屋しかない築20年のアパートだ。外壁は剥がれ落ちているところも見られる。けれども、林さんは、堂々と自分たちの暮らしぶりを見せてきた。豪華客船で訪れるリッチな観光客は初めは、電気冷蔵庫やテレビ、暖房があるのに感嘆の声を上げたという。

 林さんは「最初は人に勧められてはじめた。1年で辞めようと思ったが、ここまで続いた。それも、大連という街を見て欲しかったからです。美しいですよ。たくさんの人に知ってもらいたい」と目を輝かせた。そのあと、駆け足で大連放送局へ。われわれの取材を歓迎する式典が行われライブで中継された。載玉淋副市長と馬為公CRI副編集長らが挨拶し、われわれを代表してロシア語部のオルガさんがスピーチをした。歓迎レセプションがおこなわれ、ウニ、アワビ、ナマコなどの新鮮な海の幸に舌鼓をうった。慌しかったスケジュールから開放され、ホテルの部屋の窓から大連港を見た。灯りが海面に映し出され、揺れている。

 ダボス会議が1週間後に大連で開かれる。世界から多くの経済学者、政府要人が集まり、世界の明日を議論する。大きな外交戦略の場だ。中国で開かれる意義も大きい。多くの実りが期待される。しかし、林さん夫婦の「草の根外交」はそれに勝るとも劣らない。林さんのアパートで、部屋のベッドにしわが深く刻み込まれた老母が静かに寝ていた。「自分たちは母の世話をしなければならないのでどこにも行けません」と優しく見つめる林さんの妻、唐さんの姿が波間に浮かんで消えた。(村田)

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v 『CRI記者が見た中国』ー大連取材初日 2009-09-04 14:03:06
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