『お金は十分』は中国中央テレビ局が主催した、NHKの紅白歌合戦のような存在、『春節文芸の夕べ』という番組のコントです。出演は若手コメディアン小瀋陽です。
男性なのにスカートといういままでにない格好。口を開けばユーモア満点で。会場の観客もテレビを見ている人たちも、笑いが止まりませんでした。このコントは今回の『春節文芸の夕べ』のコメディ部門で、最も人気のある演目に選ばれました。全国放送される春節の番組に初めて出た小瀋陽は、一夜にして中国中に名が知れ渡りました。
今、彼は全国各地から出演依頼が殺到し、出演料も2006年の時点で500元、日本円にしておよそ7000円だったのが、今では50万元、およそ750万円に急上昇しました。
小瀋陽は1981年、遼寧省の少数民族・満族の村に生まれ、15歳までここで育てられました。小さいときは女の子みたいで、親の言うことをよく聞き、礼儀正しい子供で、よく地元の地方劇を見て、その歌を歌ったりしていたそうです。
小瀋陽の本名は、瀋陽の瀋に鶴、瀋鶴と言います。父親が鶴という名前をつけましたが、そこには、鶴のように抜きん出て、出世してほしいという願いが込められています。「小瀋陽」とは自分がつけた芸名で、苗字の瀋に、彼の妻の瀋春陽から陽、の「陽」の字をもらい、瀋陽だけだと遼寧省の中心地・瀋陽と重なるので、前に小さいという字をつけて、小瀋陽としました。
小瀋陽の母親は息子の成功について「地方出身のものとして、中央テレビ局の番組に出られるなんて、よくやったと思います。とても感動しています。涙が出そうです」と感無量です。
彼の母親は、地方劇「二人転」の役者でした。この地方劇はコミカルで人気もありますが、役者としてやっと暮らしが営める程度の収入しか得られませんでした。そのため、当時暮らしはとても貧しいものでした。
小瀋陽は、15歳のとき、この貧しい故郷を出て、「二人転」で自立を目指し、鉄嶺県の劇団で3年間稽古を続けました。18歳の時に独立し、同じ東北三省の吉林省へ行って、舞台に立つことになりました。
小瀋陽と同じように地方劇「二人転」の役者である母親は、息子がどんなに苦労したか、理解できます。「息子はいくら苦しくても、言葉には出しませんでした。きっといろいろと苦労したでしょう。地方出身者であるだけに、よく見下されたにちがいありません。コンビの相手を見つけるのも難しくて大変だったはずです」と語りました。
2006年、小瀋陽の努力とその業績が、中国のお笑い界の第一人者の趙本山に認められ、弟子入りすることになりました。ここで、小瀋陽は大きく伸び、今日に至ったのです。小瀋陽は
「非常に勉強になりました。師匠がいなければ今日の自分がなかったと思います。師匠のことを心から感謝しています」と、師匠の趙本山を感謝する気持ちでいっぱいです。
小瀋陽は、舞台では中性的な格好をすることが多いようですが、家庭に戻れば妻や娘を大事にする愛妻家で、よい父親です。
苦労の末にやっと成功を収めた息子、そんな息子をずっと見守ってきた両親から、息子に送る言葉があります。
「いつも謙虚であり、つつしみ深く、有頂天にならないようにすることです。一歩一歩地道に自分を磨いてください。着実に実績を重ね、芸を極め、より多くの人から愛されるようになってください」
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