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チベット民主改革で百万人の農奴が解放された

2009-03-21 21:52:23     cri    

 チベット自治区文化保護と発展協会の名誉会長、第十回全国人民代表大会常務委員会のライディ副委員長(副議長に当たる)は20日マカオでインタビューを受けた際、「チベットの民主改革が50年間行われてきたが、最も感慨深く思うのは、まさに百万人の農奴が解放されたことである」と述べました。

 これはラィディ氏がマカオで行われたチベット無形文化遺産展示会の開幕式に出席した際述べたものです。

 ライディ氏は1938年に、チベット那曲地区の比如県の貧しい牧畜民の息子として生まれました。幼いころから、母親に連れられて、浮浪者としての毎日を過ごしていました。1959年に始まったチベットの民主改革を50年間自ら経験したライディ氏は、まさにチベットの変化をその目で見てきたと言えます。

 「50年間の民主改革を最も感慨深く思ったことは何ですか」という質問に、ライディ氏は、「旧チベットの農奴は、十分に食べ、十分に着ることができず、人身の自由もなかった。中国共産党が来てから、こんな歌が伝わっていた。『ヒマラヤ山がどんなに高くても頂がある。ヤルツァンボ江がどんなに長くても源がある。チベット族の人々がどんなに悲しい生活を過ごしていてもいつか楽しい生活が始まる。共産党のおかげで、悲しい生活が楽しくなる』。この時以来、チベットの農奴は解放されて、チベット人が主人になった。この歌詞は本当に意味深い」と述べました。

 今年はチベット民主改革50周年です。3月28日は、チベット人にとって歴史的にも現実的にも特別で重大な祝日です。1959年3月10日、チベットの農奴主階層は政教一体の封建農奴制社会の崩壊を阻止するため、帝国主義の支持と扇動を受けて、無謀な暴動を起こしました。同年3月17日、ダライ・ラマ14世とその信徒たちが海外に逃亡しました。3月28日、当時の周恩来首相は国務院令を公布し、チベット地方政府のかわりにチベット自治区準備委員会が地方政権を握り、暴動を治めながら、民主改革を展開し、政教一体の封建農奴制を取り壊すと発表して、チベットの百万人の農奴と奴隷を解放したと世界に向けて宣言しました。チベット自治区人民代表大会は今年1月19日に、チベット各界の要求に応えて、歴史を忘れないよう、毎年の3月28日をチベット百万の農奴の解放記念日に指定しました。

 ライディ氏は、民主改革によってチベット社会の生産力が解放されたとし、「私の故郷は牧場である。59年前、牧畜民がヤクを追いやって3、4ヶ月も歩いていてラサの定期市にたどり着いた。今は車で2日で日帰りできる。通信も便利になった。今の牧畜民、みんな携帯電話を持っている。放牧している時、よく電話をかけあう。『お宅の牛の飼料はどうなっているか』とかちょっとくだらないことを気軽に聞く。昔は、携帯電話を見たこともなかったよ。本当に変化が大きい」と述べました。

 「チベットの発展ぶりをどう見ているか」という質問に、ライディ氏は、「チベットを発展させるには、科学技術と文化が不可欠である。人材があれば、チベットの事業発展を推し進めることができる」と述べ、さらに「今のチベット人には、博士も大学院生もいる。昔はいなかった。チベットを発展させるため、科学技術と教育に取り組む必要がある。チベットの教育事業に、党中央と中央政府が力を入れている。より多くの人材を育成すれば、チベットの経済は成長し、社会も進歩するだろう」と述べました。(翻訳:KH)

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