四川大地震から48時間が経とうとしています。震源地からおよそ100キロ離れている成都市では、市民の暮らしはどうなっているのか、災害にどのような気持ちで立ち向かっているのか、14日午後1時、成都市にお住まいの謝正富さん夫婦に電話でお話を聞きました。
謝さんと奥様は国営企業に勤めていた一般職員でしたが、数年前に退職し、現在、息子夫婦と5人家族で天仙橋地区の高層住宅に住んでいます。
地震発生時、謝さん夫婦はちょうど友人との昼食会が終わり、レストランを出て、大通りを歩いていた最中でした。「立ってもいられない揺れで、恐ろしかったです」。
謝さんと奥様は32年前、雲南省の龍陵でマグニチュード7.4(1976年5月)の大地震を体験したことがあり、今回は謝さん夫婦にとって、二回目の大地震となります。
記者 成都の今の様子を教えてください。
謝 さきほど、まもなく断水する知らせを受けましたので、大急ぎで水を溜めて、シャワーを浴びたところです。
成都市内は地震の死者が出たり、建物に大きな大きなひびが入っていたりして、地震の爪あとがあちらこちらで見かけます。
しかし、一方では、成都市は概して秩序が保たれてあり、通信も交通も通じていますので、人々はたいへん落ち着いた雰囲気です。物資は赤十字会からの援助に頼っています。一方、市民たちは自己救助にも頑張っています。町には、夜通しで、献血する市民たちが行列をしています。医療関係者は48時間、休まずに救助に当たっています。
たいへんな災害ですが、皆、冷静に頑張っています。何より、温家宝首相が現場に来てくれて、私たちと一緒にいることが大きいです。皆、大きな力を受け、大きな励ましを受けています。
記者 謝さんの団地の様子を教えてください。
謝 私の団地には全部で360世帯の住民がいます。地震が起きた後、安全確保のため、住民委員会は、夜、近くの空き地で立てたテントで寝泊りするように注意を呼びかけています。おとといも昨日も、夜は、皆でテントで寝泊りし、昼間は自宅に戻って食事の支度をしたり、休んだりしています。住民たちはどの人も、互いに言葉を掛け合って、励ましあっています。
記者 今日のお天気はいかがですか。
謝 昨日はしとしとと雨が降り続けていました。夜は風も吹き出したので、かなり冷え込んでいました。今日は幸い、良いお天気に恵まれています。
記者 食糧供給のほうはいかがですか。
謝 ミネラルウォーターや野菜はもう売り切れていますが、市場はいつも通りに営業しています。
記者 学校や会社はどうなっていますか。
謝 学校はすべて休みに入っていますし、仕事の量を減らしたり、休みになっている会社も多いです。ただし、通信、郵政、電力、公安、病院の関係者は頑張っています。
記者 ほかの被災地にご親戚やお知り合いの方がいますか。
謝 都江堰市や九塞溝に友達がいますが、九塞溝には電話がなかなか通じないため、まだ連絡が取れていない人がいます。都江堰市の友人は、地震でその住んでいるマンションは、団地ごと一瞬のうちにつぶれてしまい、不幸にも奥様が生き埋めになって、「いつもは2時になると、家を出て、友人の家へマージャンをしに行くのですが、その日だけは出かけるのが遅かったようで、友人は悲しみに包まれています。
記者 震災後の不便はまだ続きそうですが、謝さんの家はどのような準備をしていますか。
謝 そうですね。今までは長時間にわたる断水の体験はないので、とにかく、洗濯機の中をも含めて、家中のありとあらゆる器に水を蓄えておきました。3、4日分なら、問題ないですね。米や小麦、食用油など、家にもともとあるものがありますので、とりあえず、自分たちの生活には不安はありません。5歳の孫は幼稚園の行かなくて良いし、団地の子どもたちと朝から一緒に遊べるので、喜んでいますが、状況の深刻さを認識している大人は、やはり心配が隠せません。
他の省にいる友人から、救援物資を郵便で送りたいとご親切に言ってきた人がいますが、「私たちは生活に困っていないし、それよりも、大事な通路を救援物資を運ぶのに空けてほしい」と友人の好意を断りました。救援物資の運搬ルートの確保、これが今の急務です。
今回はたいへんな災害とは認識していますが、国挙げての力強い救援があるので、成都の市民として冷静な気持ちで、助け合い難関を乗り越えようと思っています。(王小燕)
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