北京市の文化財「景山公園」が故宮の北側にあります。ここは元代、明代、清代の御苑でした。
元代の皇帝・フビライは13世紀半ばに北京を都としてから、景山を皇帝の遊楽の地「後苑」にしました。ここには、当時、耕作地が8万平方メートルあり、元代の皇帝はここで畑を耕しました。
園内にある小さな丘は「青山」と呼ばれ、ふもとにある果樹園は「百果園」または「北果園」と呼ばれていました。
山の北東には、皇帝の山登りや、花見などのために建てた寿皇殿があります。ここで皇帝は、お酒を飲みながら、楽しんだそうです。御苑の北東にある観徳殿はもともと明代の皇帝の矢を射る場所で、そこでは、鶴と鹿が育てられ、いずれも「長寿」を意味していました。皇帝は重陽節になると、必ず山登りをし、長寿を祈ることにしていました。
明・崇禎十七年(1644年)三月十九日、皇帝・朱由検は李自成による農民蜂起によって故宮を追われ、万歳山の東のふもとにあるエン樹で首吊り自殺しました。
清・順治十二年(1655年)に万歳山を「景山」にしました。
清・乾隆十四年(1749年)に寿皇殿を景山の北に改築しました。
1928年から一般に開放。1949年に全面改築され、景山公園になりました。
景山の主な建築は三つの公園の門や、孔子の祭る綺望楼、山の峰にある五つの亭(あずまや)(観妙亭、周賞亭、万春亭、富覧亭、輯芳亭)、寿皇殿、東側にある永思殿、観徳殿、関羽廟などがあります。
(編集:馬 健)
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