峨眉山は四川省の南西部にあり、「中国一の山」といわれています。伝説によると、紀元4世紀、インドの宝掌和尚がこの峨眉山に来て、「震旦第一山だ」と讃えたとのことです。そこで、峨眉山は「中国一の山」という名で知られるようになったわけです。「震旦」は太陽が昇る所という意味です。中国はインドの東にあるので、インドから見て、その東にある中国は日が昇る場所なので、「震旦」と呼ばれていました。
峨眉山は植物の種類が豊富で、昔から仏教の聖地とされてたことから、1996年にユネスコの世界文化遺産と自然遺産にともに登録されました。
峨眉山は標高3000メートル以上あります。山麓から頂上まで3つの異なる気候帯に分けることができます。また、降雨量も非常に多いです。峨眉山には5000種類以上の植物があり、ヨーロッパの植物の種類の総数に相当するとのことです。その中には世界でも稀な品種もあります。関連の文献によれば、昔は峨眉山の「峨」は昆虫の「蛾」の字で、「蛾眉」は少女の眉のことを指していました。
峨眉山は中国四大名山の一つで、紀元1世紀からインドの仏教が峨眉山に伝えられました。また、ここに中国で初めての仏教寺院が建立されました。その後、峨眉山のあちこちにお寺が建てられ、中国の仏教聖地の一つとして、今でも線香の煙が絶えません。
峨眉山のお寺のご本尊は普賢菩薩(ふげんぼさつ)です。今、峨眉山には30ヵ所のお寺があります。お坊さんと尼さんが合わせて300人ほどいます。
峨眉山の一番の見所は頂にある「金頂」です。ここには三つの内陣があり、高さ48メートルの巨大な四面十方普賢菩薩像があります。この普賢菩薩は金の如意を手に、金冠をかけ、表情は厳かで、六つの歯が生えた白い象に乗っています。四つの顔というのは人間の喜怒哀楽を象徴するものです。十方というのは仏教でいう十の方向です。この仏様は中国唯一の十方に向かう普賢菩薩です。どの方向から見ても菩薩が真正面に向くことになり、福をもたらし、守ってくれるようにしています。峨眉山の普賢菩薩に憧れて、多くの人がお参りにやってきます。
この金頂は、礼拝場のほかに、日の出や雲海を見る上でも最適な場所です。運がよければ、「仏光」という縁起のいい現象が見られます。「仏光」は特殊な自然現象で、虹のような光の輪の中に人の影が映ります。また、その影は人の動きに従って動くのだそうです。この「仏光」は色々な自然条件、太陽や霧などと関係があるため、いつでも見られるものではなく、運よく見ることができれば幸せだといわれています。
峨眉山は仏教の聖地として、アジアの国の人に人気があるだけではなく、世界遺産になってから、去年、ヨーロッパの人たちにも人気の観光地になりました。峨眉山ではインフラ施設、遊覧車、ロープウェー、歩道などを整備しています。区域内には国際基準に基づいて建てられたホテルもあり、あわせて3000人以上が宿泊できます。区域内の多くの案内板は中国語、英語、日本語、韓国語、タイ語の5種類の文字で記されています。
峨眉山から西へ30キロ行きますと、世界最大の仏像、楽山大仏を拝観することができます。この大仏は弥勒仏で、高さ70メートル、肩幅20メートル、頭が山の頂と同じで、足元には川が流れ、両手をひざに置いて、優しいお顔をしています。
この楽山大仏が造られたのは唐の時代、つまり、紀元700年頃のことでした。最初に楽山大仏を作り始めたのは、海通というお坊さんでした。その頃、楽山は三つの川が合流する場所にあり、船がひっくり返る事故がたびたび発生しました。海通和尚は川を鎮めるために、楽山大仏を作ることにしました。そこで、全国各地へお布施を請う旅に出かけました。しかし、まだ仏様の頭の部分しかできていないうちに海通和尚は入寂(にゅうじゃく)しました。その後、この楽山大仏は90年間もかかって、やっと完成したということです。
楽山大仏に秘められた仏教の精神を偲んで、多くの信者が訪れています。信者たちは、この仏像の前に立つと、心が清らかになり、色々なことを悟れる気になると話しています。
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