1956年、62歳になった梅蘭芳氏は、中日友好を促進するため、三度目の訪日公演に赴いた。このときの訪日公演には、梅蘭芳氏が開いた流派、「梅派」の継承者である息子の梅葆玖氏も同行し、53日間に32回の公演を行って日本でセンセーションを巻き起こした。
三度の日本公演を行った梅蘭芳氏だが、その時代背景は毎回違っていた。違わなかったのは、梅蘭芳氏に対する日本側の歓迎ぶりである。東京、大阪、京都、神戸……、梅氏は行く先々で梅蘭芳ブームを巻き起こした。
写真3:1956年、梅蘭芳氏の率いる京劇代表団が訪問公演のため日本に赴き、
行く先々で日本国民の熱烈な歓迎を受けた。
2001年9月、梅蘭芳没後40周年のこの年、息子の梅葆玖氏が梅蘭芳京劇団を率いて日本を訪れ、亡き父の足跡を辿った。9月9日から15日にかけて梅蘭芳京劇団は東京国立劇場で7回の公演を行っている。
京劇と歌舞伎は共演という形で交流を重ね、梅蘭芳氏も多くの歌舞伎俳優と厚い友情を結んでいた。梅蘭芳氏は、歌舞伎を日本で最高の伝統舞台芸術と認めていた。1955年と1979年に、日本の歌舞伎芸術家が訪中公演を行い、梅葆玖氏も歌舞伎の大看板である市川猿之助氏の1955年の北京公演を観ている。また、梅蘭芳生誕110周年の2004年5月にも、日本の歌舞伎が中国の舞台で演じられた。
写真4:京劇の名優、梅蘭芳の息子である梅葆玖氏と日本の芸術家の記念写真
日本の歌舞伎芸術家、坂東玉三郎氏は自らが演じる『楊貴妃』に、梅派の演技を取り入れている。「玉三郎さんは北京に来て、私に楊貴妃を習ったことがあります。有名俳優の気取りはまったくなく、とても謙虚な方でした。一方で型を習いながら、一方で独自の演技を創造されていました」と、梅葆玖氏は玉三郎氏の印象を述べ、「京劇も歌舞伎も形式こそ違いますが、同じく東洋の芝居です。ですから、その魂には相通じるものがあります」と語った。
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