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 北京放送のリスナーでもある写真家・稲垣喬方さんは十数年にわたって、中国の農村を撮影し続けてきました。近代化の進展と共に、失われつつある心の風景を記録して後世に伝えたい。その思いを胸にひたすら撮影を続けてきました。夢は「いつか中国写真展を開く」こと。
 今回は稲垣さんのご協力を得て、これまでのレパートリーから選りすぐった写真の一部を7回に分けてご紹介していきます。「写真そのものの善し悪しよりも、その奥に含まれている何かを感じていただければ」という稲垣さんの思いが届くことを願ってやみません。なお、写真に添えられた短文は稲垣さんのお話に基づき、編集部で構成したものです。
 

以前の内容
• 【第4回】葡萄鎮の「晩鐘」
• 【第3回】私の構図の決め方
• 【第2回】私の風景の選び方
• 【第1回】中国の農山村に誘われて
• 【はじめに】北京放送ウェブでの掲載に寄せて
稲垣喬方さん プロフィール

 1930年 東京に生まれる
 1959~1987年 フジテレビ美術部勤務
 1968年より京都丹波地方の民家撮影を始める
 1975年 東京・銀座にて「山里の四季・丹波」個展
 1984年 東京・銀座にて「詩情の民家・三人展」
 1992年 写真集『山里残影』(グラフィック社)を出版
 2000年から中国内陸部での記録撮影を始める
 2009年 『山里残影』優秀作品として
         東京都美術館に出展
 現在、現代表装協会理事     

 外交官の父と書家・歌人の母の長男として、少年時代、両親とともに北京に6年滞在(1941~1946)。母は歌集『北京恋』で知られる稲垣黄鶴(1903~2007)。
 戦後は舞台美術のスタッフとして、1955年、市川猿之助の大歌舞伎訪中公演および翌年の京劇名優の梅蘭芳の訪日公演に参加。
 1968年より京都府北桑田美山町の「かやぶきの里」(1993年、日本文化庁より「重要伝統的建造物群保存地区」に指定)を約30年にわたり撮影。「アマの身分」と「プロの腕」で仕上げた写真集『山里残影』(グラフィック社)は、1992年の初版から2003年まで4版を出版、総部数1万冊近くとなった。同写真集を見て、日本の原風景を求め美山町を訪れる観光客は、今、海外を含めて年間10万人に上ると言われている。
 1987年にフジテレビ退職。1988~2004年、「現代表装工房」を立ち上げて活動。 現在は中国の農山村撮影に専念している。
 また、1973年から日本大手新聞各紙の中国関連記事の切抜きをスクラップし、現在も毎日続けている。2010年、稲垣氏の寄贈を受け中国社会科学院日本研究所が「稲垣文庫」を開設。2012年現在、スクラップブック合計164冊閲覧可能。

ご覧になった皆さんへ

 ここでご紹介する写真は過去十数年にわたり、私が広西、浙江、安徽、湖南、江西などの山村で撮影した記録の中からピックアップしたものです。ご覧になってのご感想を聞かせていただければ幸甚です。
 中国の若者で私と同じ考え方で中国の消えゆく姿を今後記録する作業を共にして、引き継いでくださるような友人と知りあいたいと考えています。また撮影場所も、自分で探すのは地方の変化が激しく限界があり、もしこのような農山村の推薦に値する場所などあれば、CRIの「稲垣中国農山村記録係」宛にご一報いただければと思います。