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2009-09-06 14:42:03     cri    

旅順港

 日本語で「お膳立て」というが、すべてのスケジュールが決められている取材ほど、記者泣かせなものはない。3日目になって、フリーな取材に慣れている数人の仲間が愚痴をいい始めた。私もそのひとりだ。例えば、欧米で政府観光局などの招待で記者団が組織され、実際に現地に行く。すると、まず、スケジュールをチェックして、自分たちで、自由に取材をできる時間を確保するか、あるいは、招待側に交渉して、昼食を短くしたりして時間をひねり出す。何とか独自性を出そうと、しのぎあうのだ。それは記者の腕の見せどころ。いい記事、いい写真を常に意識している。

 きょうも大連は雨。午前中は、大連市の北西150キロにある長興島の臨海工業区を訪ねた。

 「5点1線」構想という、東西1400キロ余りをベルトでつなぐプロジェクトがある。

 長興島も、一翼を担う。ケミカルプラント、造船などを世界から誘致する。

 世界で4番目か少なくとも5番目にはランクされている、韓国一の造船会社STXもその一つだ。

STX造船工場の担当者が取材に答える

 STXの造船所をのぞいた。900トンと書かれた真っ赤な巨大クレーンが3基並んでいる。その横には建造中の大型貨物船の船首がほぼ出来上がっていた。5万8千トンだという。まだ、操業を始めたばかりだが、すでに15隻の船を送り出している。鄭俊杓専務は「ギリシャからの注文を受けた船が進水したばかり。今は港に浮かべて艤装をしている。最新設備で10万トンまでは建造できる」と自信満々だった。

 午後は待ちに待った、旅順港。日清戦争、日露戦争で日本とロシアの新興帝国主義とヨーロッパの旧帝国主義国の覇権争いで、歴史の波間に漂っていた。ロシアが10年、日本が40年の租借地として統治。余り知られていないが第二次大戦後は進駐したソ連が10年も占領して1955年、新中国建国に遅れて6年後にやっと返還された。この戦略上の要衝はたくさんの犠牲の上につくられた歴史でもあった。

 白玉山の展望台から旅順港を眺める。北西方向を見る。日露戦争の時の乃木大将の作戦評価で大きな議論を呼んだ203高地は白く霧状のガスが掛かり、ぼやけて見えない。再び目を湾内に転じると藍色の染まった湾の懐は深く、波は穏やかだ。

 改革開放までは、旅順の街は外国人は立ち入り禁止だった。近年、少しずつだが歴史のベールを脱ぎ、美しい姿を現しはじめた。

取材を受ける孫副区長

 しかし、中国海軍軍事基地があるため、なかなか、見たいところも見れず、観光客にはもどかしさが募っていた。そこで、記者会見には幾つかの質問をぶつけようと、下準備のときに心に決めていた。慌しいスケジュールもこなし、市内のホテルでCRI外国籍記者団の一員として記者会見に臨んだ。旅順口区の孫家平副区長が、開発している工業地帯の説明を行い、いよいよ自由質疑だ。数人質問した後、通訳をしてもらい質問を2点した。①外国人に少しずついろいろな場所が開放されているが、日本人はゆかりの土地が多く、もっと見たいという気持ちが強い、もう少し見られる枠を広げるという話はないのか②世界遺産の歴史的文化遺産に登録申請するという考えはないか、と。

 孫副区長の言葉を聞いて、疲れが吹っ飛んだ。「軍事委員会が調査を終える。10月からは軍事基地以外はほとんど見られるようになる。どうぞ、そのことを書いて知らせてください」。孫副区長の答えには正直あまり期待をしていなかった。せいぜい、世界遺産登録に対する答えと同じように「検討しています」くらいじゃないかと。ところが、具体的に話したのだ。これこそ、ホットニュース、と黄記者と喜んだ。さらに、ほかの事を確認しようと接触した張守財同区宣伝部長は「もっと便利になりますよ。これまでは許可制度があって事前の許可を取らないと観光客は入れなかった。10月からはそのことも自由になるのです」と話してくれた。日本からは2万人の観光客が旅順を訪れているという。観光は「光りを当てる」という意味だ。物見遊山だけが、観光ではない。過去には忌まわしい歴史もあった。さまざまな角度から歴史を考える上でも、自分の目で見て、確かめ、思いをめぐらす旅もあってもよい。記者の取材も同じだ。自由に見せてくれれば、より、真実に近づける。ささやかなスクープかもしれないが、久しぶりに記者になってよかったと実感した。(村田)

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