京劇ーー「地方劇」の王者
京劇は大清帝国の首都・北京の繁栄をバックに、二十世紀後半に至るまで、一貫して順調な発展を続けてきた。
途中、わずかな障害がなかったわけではないが、名優が輩出し(多くは安徽・湖北の出身者)、発展に次ぐ発展を重ね、わずかに光緒の一時期、河北[木邦]子に王座を脅やかされた以外は、常に不動の地位を保ってきた。また、京劇の観客層は、北京市民から皇族・満洲貴族まで多岐にわたったが、旧中国でこれだけ広い社会階層の観衆をもっていた事も他の中国地方劇には例を見ない。
歴史の嵐の中に揺れる京劇
道光・同治年間(日本の幕末・明治期にあたる)、程長庚(ていちょうこう)ら老生(おとこやく)の名優が輩出し活躍した時期。
清末から民国にかけて、梅蘭芳(メイランファン)ら「四大名旦」に象徴されるように京劇に於ける旦(おんながた)の地位が急速に向上した時期。
中華人民共和国成立(1949)から文化大革命勃発(1966)までの、いわゆる「十七年」の時期。
京劇は1960年代に入っても、依然として中国文化の主導的立場にある文化の一つであった。例えば、「文化大革命」の発端は『海瑞罷官』(かいずいひかん)という新編京劇に対する批判書であり、また「文化大革命」中上演を許された八つの芝居は、すべて京劇であった。
京劇の衰落は「文化大革命」期、伝統演目(つまり京劇のほとんど)が全面上演禁止となり、多数の名優が迫害死したことを境に決定的になった。
1980年代はじめ、中国の開放政策が進み、西洋の音楽・映画などが大量に入ってくると、京劇を含めた地方劇全体は完全に圧倒されてしまった。
京劇に対する人々の好き嫌い
中国人だからといって、京劇が好きだとは限らない。これは、世代とは関係の無い好き嫌いの問題である。そもそも、京劇の歌詞や文句は、演目によって決まるが、一般的に難しく、普通の北京の人には聞き取れない。むしろ、河北[木邦]子や河南[木邦]子(豫劇)の方が耳で聞いてわかるから好きだ、という北京っ子も少なくないほどである。
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