中国と日本 向かうところは違っていない
文化の戦略的互恵を目指せ
世界初の品質管理賞として知られるデミング賞本賞の受賞者(1999年度)。率いる日米合弁企業・富士ゼロックス社は日本をベースに、アジア、オセアニア・北米で幅広く事業を展開してきました。富士ゼロックス会長在任中、経営不振に陥った(米)ゼロックス社から中国事業を譲り受け、競争の熾烈な中国市場で、富士施楽(中国)有限公司を堅調に成長させました。
深セン市名誉市民、西安交通大学名誉博士のほか、2003年~2008年、新日中友好21世紀委員会の日本側座長を務めました。多国籍企業の舵取りの実績から、世界を視野に入れた今後の中日関係へどんな提言をするか。東京支局の傅穎特派員がインタビューしました。
【デミング賞】1950年、日本科学技術連盟(JUSE)が、米国の品質管理専門家のW.E.Deming博士の寄付を基に創設。TQM(総合品質管理)の進歩に功績のあった民間の団体および個人に授与されている。その実施により日本全土で品質運動が起こり、日本製品の品質向上に大きな影響を与えたと見られている。
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■ ダイナミックに動く国 信義を重んじる国
Q 中国とのかかわりはいつからですか。
A 1980年代の半ば、今から24~5年前のことでした。21世紀のアジア経済が勢いを増すと予測され、中国が将来にわたり、大きな力を持つだろうと多くの人が感じつつあった時代でした。
その時、ゼロックス社の中国ビジネスはアメリカのゼロックス社の担当範囲でした。しかし、私も含めて富士ゼロックス社は、日本は中国の隣国だし、共通点もあるので、中国とのビジネスなら富士ゼロックスが向いていると思っていました。結果的に、アメリカのゼロックスが中国に進出しましたが、富士ゼロックスの持っている技術力や、場合によっては、日本で作ったものを中国市場で活用していました。それがきっかけでした。
Q 中国との付き合いをどのように振り返りますか。
A 良い意味でも悪い意味でも、中国はダイナミックに動いている印象を受けました。当初、ゼロックスの中国進出をめぐり、北京の交渉相手は地方関係者と一緒に富士ゼロックスを直接訪問してきました。「ぜひ富士ゼロックスと直接話をしたい」と申し出てきたので、驚いたことがあります。結果に実現しなかったのですが、我々の自負心はくすぐられました。
1999年、アメリカのゼロックス社の業績が悪くなり、持ち株の半分を富士フィルムに譲渡し、中国事業も富士ゼロックスが譲り受けました。しかし、ぼくたちがその後、中国、とくに上海(ゼロックス社の最初の進出先)に行くと、皆さんそれまでのゼロックスとの付き合いをちゃんと覚えているんです。そういう意味で、言われている通り、中国は非常に信義を重んじる国と実感しました。
富士ゼロックス社が最初に工場を作った深センでも、たいへんお世話になっています。我々の努力が深セン市に評価され、私は名誉市民として表彰されました。富士ゼロックスとしてもそうですし、私個人としても中国との付き合いの中で、非常に恵まれた経験を重ねながら、今に至っているといえます。
■中国は着実に力をつけてきた
Q この30年の間に感じた中国の変化は。
A 一口に言いますと、自信をつけたことです。
日本も近代的なビジネスのやり方に本格的に取り組んだのは、ここ50~60年のことです。それまでは、良い意味でも悪い意味でも、昔からの商習慣が色濃く残っていました。昔の良いものを残しながら、近代的な制度を作り上げていこうと模索している中、自信を失ってしまう時もあります。中国も同じ戸惑いを抱いているだろうと思っています。
いま、数多くの中国人がアメリカにわたってビジネススクールに通っていますが、中国が日本と違っていいなと思ったことは、海外でMBAをとって帰国した人をすぐに色々なポジションにつけて活用していることです。若くて経験がないというリスクはありますが、新しい知識をすぐ役立てられるというメリットがあり、いま、その効果が中国で表れていると思います。
中国人が留学を通して、海外でネットワークを作って、帰国後もそれを生かしているところを評価します。私の中国人の若い友人にも、「留学は勉強だけでなく、世界中から来た一流の人、将来のリーダーになる人と友情を深めるチャンスでもある」と話している人がいます。こうした交流はかならず将来に役立つと思います。
海外の中国に対する評価に、「将来おそるべき存在になる」という声もあれば、「まだたいしたことはない」という声もあります。しかし、全体からすれば、中国は着実に力をつけていると思います。
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■ 日本の進路は「再アジア化」にある
Q 小林さんは1990年代の初頭にも、「日本の再アジア化」を訴えていました…
A 1992年、スタンフォード大学国際問題研究所の諮問委員会で、私は日本の近代化は「脱亜入欧」で始めたが、これからの日本の進路は脱亜ではなく、「再アジア化」だと話しました。
その意味は、中国を含め、韓国やほかのアジアの国々との間には、第二次世界大戦を通じて非常に厳しい近代史があるが、やはり、将来にむかっては、それを乗り越えて、アジアの中で広い意味での日本の位置づけをもっと明確にしなければいけないということです。
単にアジア経済の将来性を見込んでいるからというのではなく、アジアにおける日本の位置づけ、「再アジア化」が日本の将来にとって非常に重要だと思います。将来のアジアが世界から見ても親和性のある発展を遂げるには、中国と日本が共同議長を果たすことが極めて自然な方向であって、それしか方向がないように思います。
世界が変わっていく中、日米関係や米中関係、或いは欧州、その他を含めた世界的な視野の中で、いったい日中関係がどのような役割を果たせるのかということを、両国ともに考えなければならないと思います。
そういう意味で、新日中友好21世紀委員会は非常に責任ある立場にあり、これまでの5年でこういった議論も行いました。
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■新日中委の5年、本音ベースで議論
Q 2003年に新日中21世紀委員会で座長に任命されました…
A 委員になることぐらいはあろうとしても、まさか座長になるとは思いませんでした。それまで、私は中国とかかわりがあったが、決して中国研究の専門家ではないし、勤まるかなという逡巡もありました。
しかし、日本側の委員の顔ぶれを伺ったら、面白いですよね。中国問題の専門家・国分良成教授もいれば、東京大学の伊藤元重教授(経済学)と松井孝典教授(地球物理学)は、それぞれ中国に一回しか来たことがありません。向井千秋さんは「宇宙には何度も行ったが、中国の地は初めてです」と言いましたね。
日本側委員の選び方は、それまでは、日本における中国のエキスパート、特に中国とご縁の深い方が中心でした。これも悪くないですが、今回は狭い二国間関係のエキスパートではなく、日中関係をアジア全体の中で、そして、世界との関係の中で考えられる人を選びました。このメンバーとなら、何か面白いことができると思いました。
Q 中国側座長の鄭必堅さんのイメージは。
A すばらしい方です。この方となら、人間的に信頼して、本音ベースで話せると思いました。
私は残念ながら、中国語ができませんが、鄭さん(写真)との初対面の様子が今でも忘れられません。2003年の12月に、北京で両委員会の初顔合わせをし、唐家セン国務委員の横に鄭さんが立っていました。その時の印象の鮮やかなこと。こんなすばらしい方に出会うのは、久しぶりのことという感じで。その前に誰とあったか忘れるぐらいに。
鄭さんがどう考えているのかは分かりませんが、ぼくの経験からいうと、互いに70歳を超えているが、一対一の関係でぴんとくる人に会うのは、とくに男同士では非常にまれです。委員会の座長を務めさせてもらったのは、ありがたいことでした。日中関係の勉強もしましたが、鄭さんと会ったのは、素晴らしいことだったと思います。
Q これまでの5年をどのように振り返りますか。
A 双方の委員はまじめに信頼しあって、本音ベースでいい会合ができたと思います。 中日両国の関係は、委員会発足後も、小泉さんの靖国参拝で色んな形でぎすぎすしていました。だから、「たいへんだったでしょう」と言う方もいますが、委員会の活動そのものはけっして大変ではありませんでした。
双方の委員は現実を直視しながらも、世界を視野に入れた今後の中日関係の構築に向け、何が必要なのかについて、きちんと議論をしました。
例えば、中長期的には青少年交流の問題があります。環境問題も世界にとっても大事ですし、これからも高度成長を続けていく中国がいかに環境との両立を図るか、日本やアメリカ、欧州などはどういった形で中国に協力できるかについて議論をしました。
それから、日本の10倍以上の人口を持つ中国国内の問題について、どれぐらい、我々の経験を提供できるかについても。そこで最初から感じたのは、中国の委員は中国の国内問題を隠そうとしたことは一度もなかったことです。地方の問題や格差の問題についても、いままでの日本の経験から、生かせるようなものをどんどん生かしてほしいと思っています。また、教育問題について、いま、日本で議論しているのは、狭い技術論と教養の充実化の問題です。日本で起きたことは中国の鏡になると思いますし、日本のかつての専門学校の教育経験を直接的に生かせると思います…などと言ったように、様々な中身の濃い議論が五年にわたって行われたと思います。
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■中国の向かう価値観は、日米と違っていない
Q 話し合いの中で、特に印象に残ったことは?
A 「中国は政治体制が日米と違うので、価値観や目指すところも違う」とよく言われていますが、向かっているところは本当に違うのか、と私は思いました。
私は鄭さんに、「いま、考えられる範囲で、中国が目指す将来の国のあり方は何か」と聞いたことがあります。鄭さんは三つあると答えて、平和の大国、文明の大国、周囲に親しまれる大国だと挙げました。
この中、「大国」は別として、平和の国、文明の国、周囲に親しまれる国という点では、日本やアメリカにも通じるコンセプトではないか思います。
ただ社会体制が違うことから、価値観も違うという結論の出し方は短絡的なもので、慎しまなくてはならないと思います。目的達成のための手段しか目に見えないため、往々にしてそこで誤解されたりします。この点、日本も同じだと思います。目的と手段をきちんと区分けして、その誤解を解消する努力をしなければならないと思います。
■ 利害関係の拡大が共通利益
Q 過去5年間、両国の間は必ずしも友好ムードばかりではありませんでした。
A 5年を振り返ると、途中で不愉快なこともありましたが、それはほんのちょっとのことで、結果的には色んな意見が出されました。まあ、様々な意見があるのは当たり前のことで、それは、まじめに考えたから、そういう結果になったのかもしれません。
許せないことは、日中両国が将来に向かって、友好関係をさらに密にしていくこと自体を否定することです。これは感情だけでなく、理屈で考えてもおかしいと思います。
ただ、友好関係を作り上げていくには、色んな方向があります。細かいところで意見の違いもあり、これらの違いは時間とともに消えていくものもあるし、それでも消えないものは受け入れれば、別に不便と感じることもないと思います。やはり目指すところは、互いに理解できる部分を増やして、互いに共有できる利害関係を大きく広げていくというのが共通利益だと思います。
■中日関係、信頼と実行が大事
Q 今後の両国の付き合いにおいて、一番大事だと思うことは?
A 安倍さんが中国を訪問した後、「戦略的互恵関係」と言う言葉がよく使われるようになりました。我々委員会では、政治と経済だけでなく、文化の面でも戦略的互恵というものをきちんと考えないとだめだと議論してきました。
言葉の意味する概念をふくめ、この辺のところはお互い漢字を使っていると言いながらも、日中の間になかなかぴたっと合意が成り立たない部分もあります。ただ、大切なことは、政治的な言葉の完全な合意はできないかもしれないが、ある程度の合意ができている中で、後は実行、行為の中で、互いにそれを裏切らないで、続けていく、信じあっていくことが大事だと思います。
Q 青少年交流に強い思いを寄せているようですね。
A 今の若い方たちの双肩には日中両国だけでなく、新しい世界の未来がかかっています。今後の世界にとって、アジアの未来が非常に重要な役割を果たすので、中国と日本の若い人がもう一度そのことを胸にしっかり刻み込んでほしいと思っています。 (聞き手:傅穎東京特派員,構成:王小燕,写真:国清、Yan)
【プロフィール】
小林陽太郎(こばやし・ようたろう)
新日中友好21世紀委員会日本側座長
富士ゼロックス相談役最高顧問
1933年 ロンドン生まれ
1956年 慶應義塾大学経済学部卒業
1958年 ペンシルベニア大学ウォートンスクール修了。同年富士写真フイルムに入社
1963年 富士ゼロックスに転じ、常務取締役営業本部長、代表取締役副社長を経て、1978年、代表取締役社 長。1992年、代表取締役会長に。2006年4月から相談役最高顧問に就任し、現在に至る
1998年 深セン市から名誉市民称号を授与
2000年 西安交通大学から名誉博士号を授与
2003年 新日中友好21世紀委員会日本側座長
【新日中友好21世紀委員会について】
1984年に発足した中日友好21世紀委員会を継承した形で、両国首脳の合意により、2003年に設置された両国政府の政策諮問機関で、2008年12月、最終報告書を提出して5年任期を終了。
2003年5月、サンクトペテルブルグにおいて行われた小泉総理と胡錦濤国家主席との間の日中首脳会談において新日中友好21世紀委員会の設置について合意され、APEC首脳会議の際の日中首脳会談においては、第一回会合の開催につき合意されました。中国側の座長は鄭必堅・中国改革開放フォーラム理事長。
【これまでの歩み】
2003年12月5~6日 第1回会合(大連)
2004年9月19~20日 第2回会合(東京)
2005年7月30~31日 第3回会合(昆明)
2006年3月23~24日 第4回会合(京都)
2006年10月19~21日 第5回会合(青島)
2007年6月8~14日 第6回会合(秋田)
2008年1月27~29日 第7回会合(北京)
2008年12月5~6日 第8回会合(長野)
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