北京の中心部に入るには、いくつかの門をくぐらねばなりませんでした。東直門、西直門など多くの門は、いま、地下鉄2号線の駅名となって、その名残りを留めています。地下鉄2号線は、北京駅から時計回りで行けば、前門、復興門、雍和宮などを回って戻ってくる環状線です。乗り間違いの心配はないので、北京観光の折には、ぜひ試してみるといいでしょう。
さて、その宣武門のあった南の地域は、宣南と呼ばれ、古くから文化人や学者、そして京劇の俳優が住み、また商業の中心としても栄えました。故宮の一帯が皇帝やお役人の世界だったとすれば、宣南は庶民文化が花開いたところでもあったのです。
その歴史が一目で分かるところが、北京宣南文化博物館です。もともとは、長椿寺というお寺でした。
お寺ができたのは1592年、明の時代です。時の皇帝は、長寿と健康を祈って、「長椿寺」という名前を贈ったそうです。そういえば、椿はなかなか枯れることがなく、いつまでも青々としていて、日本でも長生きのシンボルになっています。回族がたくさん住む牛街に通じる道は長椿街ですが、この名前もお寺から来ています。
お寺は長続きせず、清代の中期にはさびれ、その後は民間人の住まいとして使われてきました。しかし、宣武区政府が文化財保護に乗り出し、2002年から2億元をかけて改修し、2006年に博物館としてよみがえらせたのです。
博物館は8つの展示室からなっています。宣南に居を定めた清代の学者66人を紹介するコーナーでは、一人一人の業績が詳しく紹介されています。毛沢東主席の国語の教師役で、いまのピンインを考え出した黎錦熙さんも、この宣南の住人でした。
清の時代に始まった京劇も宣南が拠点でした。最盛時には学校が10、劇場は23を数えたそうです。北京の新聞もここで誕生しました。「万国公報」が創刊されたのは1895年で、これは複製版しか残っていませんが、多くの珍しい新聞が保存されています。
庶民の暮らしぶりも分かります。レストラン、デパートもこの宣南で生まれました。今に残る。老舗の漬物店「六必居」やお茶の「張一元」、漢方の「同仁堂」の看板も見ることができます。
瓦を割ったり、頭で石を突いたりした大道芸人の姿も楽しめます。旅行ガイドブックには見つけられない小さな博物館ですが、解放前の北京を知るにはうってつけの場所と言えそうです。
場所:北京市宣武区長椿街9号
電話:(010)83167249
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