曾国藩(1811ー1872)は、中国歴史上最も影響力のある人物の一人です。彼は湖南省のある辺鄙な村から読書人の身分で上京し、科挙の試験に合格した後、官吏として採用され、37歳の若さで正2位までに出世しました。
1851年、洪秀全・楊秀清らが蜂起し、1853年には南京を攻めて政権を作りました。「土地の平均化」や「男女の平等」など民主的権利を求めたこの「太平天国蜂起」は中国史上最大の農民革命政権であると言われています。 曾国藩はこの蜂起を鎮圧するため、「湘軍」を創設して十数年かけてやっと「太平天国」を静めました。清王朝の天下を守るため、「両江総督」(今の江蘇、安徽、江西省)、「直隷総督」(今の河北省、天津市及び内蒙古自治区の一部分)などを歴任して、正1位に上りました。
曾国藩の時代は清王朝が繁栄から衰弱へと向かっている時期でした。「同治中興」という局面の中の曾国藩はこの過渡期の核心的な人物で、政治や軍事、文化、経済などの多くの面で大きな影響を及ぼし、その影響力が今日でも続けています。そのため、彼は中国近代史上最も議論されている人物にもなっています。
政治家ー曾国藩は政治行政について、「行政にとって一番肝心なことは道徳と才能を備えている人材を採用することだ」と強調しました。また、外交について、彼は西洋人による中国侵略を非常に恨む一方、西洋のすべてのものを盲目的に排除するのではなく、「その進んだ技術を学ぶべきだ」と主張しています。
毛沢東と蒋介石は曾国藩のことを非常に敬服しており、毛沢東は曾国藩の軍事思想を受けて、中国の「紅軍」に厳しい軍規「三項目の紀律、八項目の注意」を制定し、また、蒋介石は中国近代軍事人材を養成した学校「黄浦軍校」で、曾国藩の「民衆を愛する歌」を教材として学生を教えたことがあるということです。
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