炎帝と黄帝、古代中国には伝説上の二人の有名な皇帝がいたそうです。民族の祖先です。この二人の名前を縮めて「炎黄」。仲間うちで、「やっぱり中国人だ」「中国人は一番さ」といったニュアンスの時に使われるようです。日本でいうなら「我こそは日本男児」というところでしょうか。先日、人民日報に中国国際人材交流基金が主催する「炎黄賞」の受賞者が決まった、という記事がありました。「炎黄」はいまの中国で脈々と生きているのです。
今回の「博物館めぐり」は、炎黄芸術館を訪ねましょう。北京の北、第四環状道路の安慧橋からアジア大会選手村(亜運村)の方へ、北へ300メートルほど進んだところにあります。唐宋の時代の雰囲気を持つこぢんまりとした建物です。
それもそのはず、この芸術館は人民芸術家といわれた画家・黄冑が個人で作り上げた美術館です。館長は夫人の鄭聞慧さんです。鄭さんによれば、最初は、「華夏」とか「東方」とかいろいろ候補にあがりましたが、本人の名前も黄、そして中国人に親しみを与える炎をとり、いまの名称になりました。
さて、黄冑さんはどんな画家だったのでしょう。1925年河北省の生まれ。鄭さんや家族によると、ロバをはじめ動物の絵を好み、水墨画の技法で人物画を描くのを得意としました。五四運動で破壊された中国画の伝統を復活させた功労者でもあります。
創作への態度は真剣そのもの。「人間は兄弟でも違いがあるもんだよ。牛も同じ。一頭一頭特徴があるんだから、力を込めて描かなくてはならない。足のひづめまでよく見るんだ」とそんな心得を語っていたそうです。
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黄冑の作品「談心図(毛主席と話す農民)1964年」 |
黄冑の作品「育羔(子羊を飼う)1981年」 |
芸術家としてだけでなく、外交官の役割も任じ「自分の絵で世界の人に中国のことを伝えたい」といっていました。1984年、日本画家の平山郁夫氏の招きで日本での作品展も行っています。
大展示ホールは、今年のエトに当たる猪、中国ではブタですが、その絵が32作品も並んでいました。ただ動物を描くだけでなく、農民と動物たちの触れ合い、自然に立ち向かう姿など変化に富んだ表情が楽しめます。
隣のホールは民俗画。旧正月の時期らしく、各地方のお祭りに出てくる鐘馗(しょうき)様がたくさんいます。着物やひげを見ると地域によって違いがあることが分かりました。見比べてみると、なかなか面白いものです。
館内を案内してくれながら、鄭さんは、「夫の伝統を伝えていきたい。若いころは西洋の音楽や絵画がすばらしいと思っていた。でも、いまになってみると中国文化こそ宝物だね」と語っていました。(文:吉田明 写真:斉鵬)
所在地:北京市亜運村慧忠路9号
電話:010ー64913171
ホームページ:www.yanhuangyishuguan.com
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