前回も少し触れましたけど、兵馬俑博物館の一号館、二号館と三号館は発掘された時間の前後によって名づけられたのです。その規模と役割はそれぞれ違います。規模といえば、一号坑の規模は一番大きく、二号坑は一号に次ぎ、三号は最も小さいです。兵馬俑は始皇帝の都を守備した警備軍を模して作られたもので、この三つの坑の役割分担ももちろん違うのです。1号坑は右軍、2号坑は左軍、そして、3号坑は指揮部となっているそうです。
兵馬俑軍団の編成について、兵馬俑博物館の李乃夫総工程師は「左軍と右軍は均整のとれた配置ではなくて、軍隊の種類にしたがって並べてあります。例えば、右軍、すなわち、一号坑には主に歩兵と馬車を扱う車兵ですが、二号坑には歩兵や車兵それに騎兵などを主としています。一号には騎兵は見つかりませんでした。また、三号坑は警備の隊列で構成されていて、二人が向かい合って立っていて、真ん中は人を迎える道となり、まるで、警備部隊のようです。」と語りました。
一号坑は長方形の窪(くぼ)になっていて、長さ230メートル、幅62メートルあります。この中には車兵が主体となっていて、車兵と歩兵は長方形の隊列になっています。軍陣の主体は東に向いていて、南と北そして西の三方向にはそれぞれ外側に向かって一列の兵士がおり、防衛の役割を果たしています。さらに、一番東に三列の前衛も設置されています。一号坑には全部、壁で隔たれた九つの坑道がありますが、坑道にはそれぞれ四列の兵士がおり、真ん中には、戦車も配置されています。この一号坑ではすでに三分の一ぐらい考古発掘され、すでに1087体の陶製俑を修復しましたが、兵馬俑配列の密度から推計しますと、この中に、合わせて6000体余り埋葬されていると見られています。
こんなに膨大な軍団、本当に圧倒されてしまいます。それに、よく見てみると、人それぞれ格好が違います。鎧(よろい)のようなものを着ている兵士もいるし、髪の毛に飾りがある人、無い人、また、髭と額の皴があるかどうかなどを見ても、一見似ているのですけど、よく見るとみんな違っているようです。これはその作り方とかかわりがあるそうです。なんでも顔の部分はまったくの手作りだそうです。
そして、兵馬俑の身長は、一番背が高いのは1.96メートルあり、一番低いのもおよそ1.87です。今の普通の人と比べると確かに高いほうですが、その理由は、二つの可能性があると思います。一つ目は、これは当時の警備部隊を真似したものなので、威厳を見せるために、より背の高い人を選んだのではないでしょうか。また、もう一つは、多分少し誇張して作ったのだと思います。とにかく、その偉大さを強調したかったのでしょう。
二号坑の面積は6000平方メートルあり、一号の三分の一ぐらいです。一号は長方形の形をしていますが、こっちは曲尺形(きゃくしょくがた)です。その一番東側に、四つの坑道があって、主に立って矢を射る俑と跪く姿で矢を射る俑からなっています。南には、戦車がたくさんあります。中部には、三つの坑道があって、騎兵、車兵と歩兵の混合軍陣です。また、北部は全て騎兵陣です。この四箇所はそれぞれ独立しているのですけど、お互いに緊密なかかわりがあると思います。
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