瀋従文(1902ー1988)は1902年、中国中南部の湖南省鳳凰に生まれた作家、歴史文物研究者です。
1918年小学校を卒業して地元の軍隊に参加し、四川や湖南、湖北、貴州などで生活したことがあります。1923年北京に出て、独学、文学創作を始めました。また、北京大学で聴講したこともあります。1924年以降、作品を発表しまた、胡也頻と共に、「京報夕刊」と「民衆文芸」を創刊しました。1928年に、上海に出て、胡也頻や丁玲らと共に、雑誌「紅黒」と「人間」を編集しました。1930年から武漢大学、青島大学で教鞭を執りました。1934年から北京と天津の新聞「大公報」の夕刊「文芸」の編集に携わりました。抗日戦争が勃発した後、昆明に赴き、西南聯合大学の教授。抗日戦争勝利後は、北京大学の教授となり、また、「大公報」や「益世報」など文学夕刊の編集を担当しました。
1926年から初の文学集「鴨子」が出版され、その中には70篇余りの作品が収録されています。1940年代まで発表された主な作品は短編小説「蜜柑」、「雨後」、「神巫の愛」、「旅館」、「石子船」、「虎雛」、「阿黒小史」、「月下小景」、「八駿図」、中篇小説「一人の母親」、「辺城」および長編小説「旧夢」、「長河」などです。彼の小説は農村から都市までの様々な人物を描いており、そのうち、湖南省西部地区に住んでいる庶民の生活をうまく描写しています。その代表的な作品は中篇小説「辺城」です。
新中国の成立後、瀋従文は中国歴史博物館に勤め、文物や工芸美術の図案および物質文化史の研究活動に携わってきました。1957年には文学創作をやめ、1978年には中国社会科学院歴史研究所の研究員となりました。
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