謝氷心(1900ー1999)は中国近代の女流作家です。
謝氷心は1900年、福建省福州の愛国思想の海軍軍官の家に生まれました。一家は一時、山東省の煙台に出ましたが、辛亥革命勃発前に、謝氷心の父親は海軍学校の校長を辞め、ふるさとに戻りました。謝氷心は幼い頃、学校に通ったことはなく、塾の傍聴生として勉強していました。7歳の時には「三国演義」、「西遊記」、「水滸伝」などを読み始めました。
1913年、謝氷心は家族と共に北京に移り、1914年に教会の学校である北京貝満女子中学校に入り、1918年に協和女子大学の理科に進学しました。彼女が文壇に入ったのは「五・四運動」以降のことです。その後、相次いで「燕大季刊」・「生活」・「小説月報」などの雑誌で社会問題を反映した120余りの文章を発表しました。文学学士の学位を獲得した後、アメリカに留学。アメリカ留学期間中に、彼女は自分のアメリカでの見聞を「小さな読者へ」という散文に書きつづけ、また中国国内に寄せました。こうした文章が発表された後、国内の児童に大いに喜ばれました。卒業後に帰国し、相次いで燕京大学や清華大学、北京女子文理学院で教鞭を執りました。抗日戦争勃発後、謝氷心は昆明や重慶などの大学の教師となりました。1952年と1955年に、謝氷心は訪問団を率いてインドへ赴き、両国国民の友好関係を増進しました。
謝氷心は女流作家であると同時に、翻訳者でもあります。1955年ー1965年までの10年間に彼女にとって、翻訳の最高の時期です。この期間、謝氷心は8カ国の50余りの作品を翻訳しました。晩年には、夫の呉文藻と共に、「世界史」と「世界史要綱」の翻訳に参与しました。
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