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老舎ー中国近代の代表的な作家
   2006-11-29 16:17:35    cri

 老舎(1899ー1966)は中国近代の代表的な作家です。本名は舒慶春、北京人で満族です。

 1899年2月3日、北京の貧民家庭に生まれ、1900年8月、国連合軍が北京に侵入した時に、父は戦死しました。家庭が貧困なため公費で食事と宿泊と教科書を提供してくれる北京師範学校に入学。在学中、校長の方還先生と国文教員の宗子先生の教えを受け、文語を用いて散文と詩を書き始めました。

 1918年、北京師範学校を卒業後、北京市方家胡同の小学校長として派遣されました。1922年夏から1923年春にかけて天津市南開中学で国文を教えながら学校の出版委員会委員を兼務し、季刊誌にて短編小説『小鈴』を発表しました。1923年、北京教育会で書記を担当、同時に北京市第一中学で国文を教えました。時間があれば燕京大学に通い、英文の授業を傍聴していました。

 1924年夏、燕京大学の英国籍の教授の紹介を受けてロンドン大学で漢語の教員となりました。ここで、多くの外国文学作品を閲読し、かつ小説を書き始めました。イギリスでの5年間の間に「老張の哲学」、「趙子曰く」、「二馬」の3つの長編小説を創作し、また「文学研究会」のメンバーとなりました。

 1931年、夏胡絜青と結婚。1934年夏から1936年夏まで青島山東大学で中国文学の教授を勤める一方、執筆を続けました。この時期の短編小説には「上任」、「柳屯的」、「月牙」、「老字号」、「断魂槍」などがあり、多くは「桜海集」と「蛤藻集」に収められています。1936年夏、山東大学での教授を辞め、青島で文学創作に専念しました。同年の秋に長編小説「駱駝祥子」と「文博士」の連載を始めました。1937年11月老舎は武漢についた後、郭沫若、茅盾、陽翰笙、樓適夫などの作家とともに積極的に党の指導の下、全国的な文芸会抗日民族統一戦線組織のために働き、この期間に老舎は周恩来を知り、彼の支持と協力を得ました。

 1938年3月27日、「中華全国文芸界抗敵協会」が成立され、老舎は第一理事に選ばれました。抗日戦争の8年の中で、老舎は団結抗日を題材にして、積極的に文学創作に従事し、また各種の文化宣伝形式を利用して抗日を広く伝えました。この期間には新劇「残霧」、「国家至上」(宋之との共同著作)、「張自忠」のほか、長編小説「火葬」と「四世同堂」の第一部「惶惑」、第二部「生」:短編小説集「火車集」、「貧血集」などを発表しました。

 新中国成立後の17年間で、老舎は多くの作品を創作し、また、1950年から1966年の間、「方珍珠」、「龍須溝」などの話劇を発表しました。1951年12月、北京市人民政府は老舎に「人民芸術家」の栄誉ある称号を与えました。

 老舎は建国後、政務院文教委員会委員、全国人民代表大会代表、全国政治協商会議常務委員会委員、北京市人民政府委員、中国文聯副主席、中国作家協会副主席、北京市文聯主席などの要職を歴任しました。

 1966年8月に、67歳で世を去りました。

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