郭沫若(1892ー1978)は中国近代の詩人、歴史学者、劇作家、古文字学者です。
1892年、四川省楽山に生まれ、嘉定高等小学、嘉定中学堂、成都高等学堂の分校中学で学びました。1914年、日本に渡り、東京第一高等学校、岡山第六高等学校、九州帝国大学医学部に留学。1918年に新しい詩の創作をはじめ、1919年の五四運動勃発後、同級生とともに「夏社」を組織して、初期の文学活動を開始しました。1921年、郁達夫、張資平等と文学団体創造社を結成し、同年、詩集《女神》を出版。1923年春、大学を卒業し帰国後、《創造周報》、《創造日》の編集の仕事に就き、詩集《星空》等を出版しました。1924年、再度、日本に赴き、河上肇の《社会組織と社会革命》を翻訳して、マルクス主義の影響を受けました。同年帰国。
1926年、広東中山大学文学院学長に就任しましたが、この時期、「無産階級革命文学」の主張を提起しました。そして間もなく、北伐戦争に参加し、国民革命軍総政治部副主任に任じられました。そして、1927年3月《請看今日之蒋介石》を発表。これは人々に大きな影響を及ぼしたのです。同年、"南昌蜂起"に参加。そして蜂起軍南下の途中に、中国共産党に入党しました。
1928年から日本に住み、中国古代史と古文字学の研究に打ち込みつつ、若者達の日本留学と中国文芸界の革命文学活動を積極的に支持。抗日戦争勃発後は中国に帰り、"抗日救亡運動"に加わりました。中国共産党の指導の下で《救亡日報》を編集し、その間、軍事委員会政治部第三庁長、文化工作委員会主任を歴任しました。そして国民党統治区の進歩文化人と団結して、抗日宣伝工作を展開しました。この時期、多くの史劇と詩を著し、国民党統治の暗黒面を明るみにして、人民を励ましました。
抗日戦争勝利後は、民主運動の最前線に立ち、国民党と真っ向から対立する闘争へと進みました。1948年東北解放区に赴き、その後、1949年2月に北京へ。
新中国建国後、継続して著作に従事し、多くの詩、歴史、考古著作を発表しました。同時に政府や科学文化教育、国際交流等において、指導的立場を担い、中央人民政府委員、政務院副総理兼文化教育委員会主任、中国科学院院長、中国科学院哲学社会科学部主任、歴史研究所第一所所長、中国科技大学校長等の職を歴任。さらに、中共九,十、十一期中央委員、第一期から第五期までの全国人大副委員長、第二,三,五期全国政協副主席に選ばれました。
六十数年もの間で、哲学・社会科学の多くの領域、文学、芸術、哲学、歴史学、考古学、甲骨文、金文研究およびマルクス主義理論などの著作、そして外国の優れた作品を翻訳紹介するなど、各方面において、多大なる功績を残しました。
|