今日の「中国の酒」の時間は、昔の王や皇帝とお酒の話をしましょう。先週は賢い王の禹は、部下の儀荻が造った酒を飲んでから、「後世の王は、このような美味しい酒に溺れて、国の大事を怠たり、国を乱しかねない、酒作りはもうやめよ!」と禁止しましたが、禹が心配したことが当たったようです。禹の子孫で五代目の少康の時代になりますと、かの儀荻が造った『旨酒』と呼ばれるお酒より上等なお酒ができると、王や貴族たちほとんどが酒に飲まれてしまい、禹が築き上げた夏王朝の最後の帝王夏桀は、酒の池に船を走らせり酒の桶を使って築いた堤防はなんと長さ十里もあったということです。また、宮中で酒盛りをやれば、なんと3000人がそれに参加したということです。もちろん、当時の酒盛りの規模なんかについては色々といわれているようですが、、桀という王は、夏王朝の中でも、最大の酒好きであり、無茶なことをした人物であったことは確かなようですね。そして、夏王朝はこの桀の代でおしまい。また夏王朝にのあとが商という王朝で、エーッと、今から約3000年ほど前です。このときになりますと、酒の醸造所ができ、専門に酒を作る奴隷を置くようになったということです。夏王朝の代に比べて、酒の種類も増え、王や貴族たちが飲む酒の量も前の王朝よりかなり増えたとあります。
いつでしたか、中国のテレビで商が滅び、周がそれに取って代わる状況を描いた大河テレビドラマを見ましたが、商王朝、これは殷とも言いますね。この商の最後の王である紂王は、すごい暴君でした、彼は酒を飲みはじめると何日も飲み続け、酒粕で丘を造り、酒の池をこしらえ、酒の肴である肉を吊して林とし、男女が戯れるのを酒を飲みながら眺めてすごしたそうです。かの「酒池肉林」という言葉はここから来たのでしょうね。もちろん、商王朝はまもなく滅びてしまいます。
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