ところで、すべての酒飲み皇帝が部下にはひどかったのではないらしいですね。明の時代の皇帝の多くは己は酒を好んだし、部下たちにも酒を飲ましたといいます。陸容の書「菽園雑記」には、毎年、端午の節句になると大臣たちは午門の外で皇帝からお菓子や粽をもらい食べ、またその席では、上等なお酒も振舞われたとあります。
で、何良俊の「四友斉業説」という面白そうな名がついた本には、こんな記載がありました。
明の考宗帝がある日、側近に「今の大臣どもは、毎日早起きして朝廷に来たあと、それぞれの持ち場について一日中仕事をしておる。その者たちの同期や友と同郷者が来たときは、宴でも設けなければならんじゃろうが、仕事なので酒を飲めんじゃろうのう?」と聞くと側近は、「申し上げます。みなさま各位は常に夜に酒を飲んでおられまする。」これを聞いた考宗帝、「それぞれの役所は人手不足である。何かあって役人がいなければ事じゃ。もしこの者共が夜間に外で酒を飲み、馬に乗って帰宅する際は、行く手を照らす明かりもないゆえ危ない。これからはこの者共が飲み終わり帰宅する際は、その店が明かりをつけ持ち、宅まで送り届けよ。」との命令文を下した。
このときからこれが決まりとなり、北京や南京では、特に寒い冬の夜になると、夜半になって酒を飲んだ役人たちが、店の者の持つ明かりもって家まで送ってもらったそうな。
とまあ、一応は以上のような意味ですが、この明の考宗帝みたいに、酒でも部下思いである皇帝はほかにはいなかったようです。
でも、おもしろい皇帝がいたもんですね。この皇帝、役人たちの仕事振りには関心なかったのかな?これはいけないようですな。でも林涛もそのときに生まれていれば、悪くすると毎日酒びたりになっている人物かもしれませんね。ま!何はともあれ、秋の酒は夏より美味く感じますから、といっても、寒い冬の酒はもっとうまいか。何を行っているのか和からなくなりっました。
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