林涛が台所に入った理由
昔から「読書の秋」、スポーツの秋」とか何とか言われますね。この林涛は本を読むのか好きですか、やっぱり食いしん坊と呼ばれるだけあって、今日の晩酌のオカズは何にしようとよく考えたりし、時には夕方に退勤できる日があり、そんなときは市場やマーケットに立ち寄り、適当な酒の肴を買い求め帰宅します。実はこの林涛、台所に入るのが好きでしてね。もちろん、以前日本でいわれた「男の台所」というような本格的なものではありませんが、台所に入り始めたきっかけは、自分で料理を作るというのではなく、いまのような大抵のものは一応あるという北京ではなく、酒のオカズといえば、大体が決まっていたという時期であった1970年代後半の北京で、つまり、かの"文化大革命"終わって間もないころ。何かもっと自分の口にあう酒のオカズは造れないかなあ、と思って台所に入り始めたんですよ。もちろん、それまで自分でご飯も炊き、美味くはないオカズもよく作ったことはありますよ。でも、それまでは、ピーナツ、豚肉加工食品や豆腐などをオカズに飲んでいましたね。実は、よーく思い出してみると、今のようにものが豊かになったときより、当時のあまり物が豊富でなかったときの北京の人の酒の飲みっぷりのほうは味がありますね。えーっと!この話は、また少し少しご紹介しましょう。つまり、今じゃなくて以前の北京の呑み助たちのことです。なんか、言ってることがごちゃごちゃしてきましたね。この林涛、実は今は酒もかなり弱くなり、仕事の都合で一週間に休肝日が三日か四日あります。つまり退勤時間が遅くなって11時ごろに帰宅したあとは、飲みません。でも、30年代には、毎日、アルコール度60度という北京の地酒を毎晩300ml以上も飲んでいましてね。この北京の地酒「二鍋頭」がおいしいんですよ。当時は、この漢字で一二の二、鍋の頭とかいて中国語で「二鍋頭」と読む蒸留の白酒しか飲まなかったんですよ。私は「酒豪」じゃありませんけど、自分なりによく飲みました。この北京の呑み助に親しまれてきた「二鍋頭」の紹介は別の機会にしましょう。