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私と北京放送・岩田博(二)
   2006-05-11 11:27:48    cri

 岐阜県美濃加茂市。1956年から北京放送を聞き始め、現在も毎日北京放送を聞いている。1978年10月、初めて中国を訪問。以来十回ほど中国を訪問。1979年1月、北京放送を聞く会に入会。1983年北京放送を初訪問。これまでに北京から送られてきた切り絵や返事のお手紙などを宝物のように保管している。1978年の北京放送のカレンダーもある。

 以下は岩田さんのインタビューです。

 始めて中国を訪問したのは78年10月でした。岐阜県日中友好法中団の一員としての中国訪問でしたが、ちょうどその日は、鄧小平副首相が来日されて日中平和友好条約の批准書の交換式が東京で行われる歴史的な日でもありました。  

 私達は中国の人々との友好交流を第一に、杭州、上海、北京の3都市を訪問しました。現地では、人民公社や工場、それに小学校や病院などを参観しました、行く先々で大歓迎、すなわち中国式に言えば、熱烈な歓迎を受けましたし、それに一般家庭まで訪問することができ、そこで、大変暖かいおもてなしを受けました。この中国訪問により、中国の各分野における建設の様子がよく分かり、とても感動しました。

(その大事に閉まっている北京放送からの返事手?)

 最近では、一昨年2004年10月に北京を訪問しました。私は今までに10回ほど中国に行きましたが、78年10月に初めて中国を訪問した時と比べ、その発展振りには目を見張るものがありますね。始めての北京は町は灰色、道行く人々の服装もみな紺色か灰色ときわめて地味な服装、そして、自転車の多さにびっくりしました。しかし、今の北京は高層ビルが立ち並び、自動車が多いこと、あの広い長安街も大渋滞となりますし、町はとても綺麗で、道行く人々の服装もとても派手な服装が目立ち、各商店の商品の多さにはびっくりするばかりです。この発展振りは北京や上海のような大都会だけでなく、地方でも同じように発展していますからただただ感心するばかりです。

 (保存の各種北京放送関係の資料)

 実を言うと、私は北京放送を聞いていても1978年までに一度も手紙を出したことはありませんでしたが、この中国訪問で大変お世話になった方々に対し、せめてものお礼にと思い、北京放送局へ訪中の感想とお礼を書きました。これが北京放送局への初めての手紙でした。それは、1978年11月のはじめのことでした。すると、12月の「お便りの時間」で、当時のアナウンサー趙志行さんの朗読で私の手紙が放送されまして、その当時は本当にびっくりしました。再放送の時は家族とともに聞きましたし、テープにも録音しましたが、その録音テープは今でも大切に保存してあります。また、日本に全国組織の「北京放送を聞く会」という組織があることを知り、79年1月にこの「北京放送を聞く会」に加入しました。そして、それまでのように、この北京放送を自分ひとりで聞くのではなく、一人でも多くの人に聞いてもらい、新中国を知り理解してもらうよう努力をしてきました。その甲斐あってか、今でも何人かの友人や知人がこの北京放送を聞いてくれていますが、これは私にとってとても嬉しいことです。

kokusei
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