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安剣星有限会社星光代表取締役社長 | 1963年河北省生まれ。83年中央演劇大学入学。卒業後結婚し、90年来日。96年に有限会社星光設立。同年『僕は毛主席の紅小兵だった』を出版。現在に至る。
日本人女性との結婚を機に来日し、15年を日本で過ごす安剣星氏。文学で身を立てるつもりが、今は石材を輸入するビジネスマン。慣れない日本で、奮闘を繰り返しここまできた。「僕にはできない」と思っていたことばかりだったが、今は「僕にしかできない」ことばかりになっていた。「やりたいことがいっぱいある」という安氏にズームインしてみた。
取材に当たったのは、張国清・北京放送東京支局長です。この取材内容は日本東方通信社の編纂による週間雑誌「コロンブス」2005年11月号に掲載されています。
国際結婚を機に、来日を決意
張国清・北京放送東京支局長: 安さんは、中国から墓石を輸入して、日本で販売するというビジネスを展開されていますが、まずは来日したキッカケからお聞かせください。
安剣星・有限会社星光代表取締役社長:子供の頃から本を読んだり、文章を書くのが好きでした。そして83年、北京の中央演劇大学に入学し、テレビドラマや演劇の脚本づくりを勉強しました。希望どおり、好きな文学を学べてとても幸せでした。
それまで、日本への接点はまるでありませんでしたが、大学3年生のときに思わぬ転機が訪れます。それは、同じ大学に留学してきた日本人女性と知り合ったことです。それがいまの妻で、日本に興味を持つキッカケとなりました。
実際に来日したのは、天安門事件の翌年の90年です。日本で暮らしはじめてはや15年以上になります。
この間、日本に対するイメージはかなり変わりました。中国で日本のニュースといえば、外交関係のニュースばかりで、一般の日本人の生活などはほとんど報道されていませんでしたから。
張:日本の生活に慣れるまでには、苦労もあったかと思います。奥さんの助けが大きかったと想像しますが。
安:来日したばかりの頃は、日本人との関係でトラブル続きでした。それを乗り越えていままでやってこられたのは、ひとえに妻のおかげだと思っています。彼女は日本人と意見が食い違うのは、民族性や文化の違いが原因であることが多く、それを理解することだと根気強く説明してくれました。妻の支えと励ましがなければ15年間も日本で生活できなかったと思います。
張:ステキなお話ですね。ところで、お子さんは何人ですか。
安:9歳と5歳になる娘がいます。家ではなるべく中国語で会話するようにしています。娘たちには日本人、中国人という枠を超えて、「アジアの子」として生きてほしいと願っています。 (つづく)
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