奈良と言えば、中国人記者はすぐに中国の古都・長安、秦の始皇帝の陵墓がある今の西安を思い出す。関西国際広報センター(KIPPO)の招きにより、先日韓国、オランダ、ポーランドと中国の記者らと共に奈良へ行った。よく日本人から、奈良は古代の長安をモデルに建造したもので、町並みは似通っているところが非常に多いと聴かれた。奈良には、10年ほど前に一度訪れたことがあり、親しみを覚えている。二日間という短い日程だったが、奈良で見たことと感じたことは、まず東京のように高層ビルが無く、町全体はこじんまりしている上、歴史ある建物が多く、かつよく保存されているということだ。そう言えばそうだが、奈良は古都という名に恥じない数多い名所旧跡がある。これら貴重なものをよく保存しなければ、この世から消えてしまうだろうと思う奈良の人々はこれら名所旧跡の保護に全力投球している。
「重要伝統的な建造物保存地区??今井町」
最初に案内されたのは今井町だ。東京や他の地方でもあまり見られない風景が目の前に現れ、のどかで平和的な雰囲気が漂っている感じのこの町に惹かれた各国の記者たちは驚嘆の声を出しながら、しきりにカメラのシャッターを押した。私も下手の横好きで目にした古代風の建物を何枚も何枚も撮影した。古めかしい建築物をモデルに小学生たちが絵を一生懸命に描いており、これはわれわれ日本人の過去に住んでいた建物で、保護しなくてはならないことを子供達に分からせるためだろう。子供たちの絵を描いているその真剣な表情を、人民日報の孫東民支局長はカメラに何枚も納めた。
現地の方々の紹介によると、今井町で町並みを守る運動がおきたのは今から50年前のことだ。昭和50年~60年代には、住民と行政が一体となって、今井町の町づくりの視点で調査や話し合いを繰り返すと共に、建物の修理、修景補助事業や歴史を生かした道路整備を実施した。また、各種イベントや地味な活動により、平成5年に、重要伝統的な建造物保存地区に選ばれたのだ。
ここで、大都会のコンクリートの固まりのような所謂現代的建築物に見慣れた各国記者の好奇心が起こされ、今もここで生活している住民が多いのか、この町の保護に膨大な資金が必要となるのではないか。その資金を出したのは現地政府か、中央政府かそれとも各家なのかと次から次へと質問をした。町の改造や保護にかかる経費の大部分が個人負担だ。一部、地域の人々が利用する生活道路のカラー舗装や、古い町並みを損なわないための電柱の地中化などは国や橿原市からの補助があるが、日本では"民家"はあくまで個人の所有物なので原則改造や補修にかかる費用は個人負担です。また、同市では表通りに面した民家の表情に、できるだけ昔の面影を残すため、改造や補修に要する費用の一部を補助していると答えてくれた。
私たち外国の記者たちは屋根の煙出し、鬼瓦、むしこ窓、壁面の意匠、様々な格子、出格子、駒つなぎなどなど日本の伝統的な様式の数々を、ここで目にすることができたと同時に、ここに暮らしをしている人々の美意識をも感じ取った。今井町は東京のような雑踏が無く静まり返っている。ここで私たちが出会った人々の多くは観光客で、昼間だろうか、町を行く人はほとんど見当たらない。それに、重要伝統的な建造物保存地区と指定されたこの今井町には商店がほとんどなく、家屋のみが残り、多少生活には不便なところがあるだろうが、住み慣れたこの町で暮らしをしている"住民"も少なくない。重要で伝統的な建造物保存地区??今井町を、昔のような人々の生活の息吹に溢れる活気ある町にしてもらいたいと心から望んでいるのだ。
「平城京と平城宮跡」
奈良で感銘を受けたもののもう一つは、平城京と平城宮跡と言わなければならない。
西暦710年に、奈良盆地の北端に造られた平城京が新しい都と定められた。元明天皇が律令制に基づいた政治を行う中心地として、飛鳥に近い藤原京から都を移したのだ。それは、中国・唐朝の都・長安城などを模範として造ったと言われていた。この点からも、奈良の歴史の古さが分かると思う。当時平城京は大小の直線道路によって、碁盤の目のように整然と区画された宅地に分けられており、住民は4~5万人とも10万人とも言われるが、天皇、皇族や貴族はごく少数の百数十人程度で、大多数は下級役人や一般庶民たちだった。
平城宮跡はその往時の都の様子を偲ばせる歴史的、学術的に貴重な価値を有する重要な遺跡として日本国の特別史跡に指定され、また1998年には平城宮跡を含む「古都奈良の文化財」がユネスコ世界遺産に登録された。
私たち一行外国人記者は現地関係者の案内でこの平城宮の跡を見学した。平城宮の跡はとても広くて、木や当時の物と思わせるいくつかの建物の跡しかなく、市民たちの憩いの場となっている。祝祭日や土日となると、ここを遊びながら、大昔のことを偲ばせる場所ともなっている。感心をしたのは、町の真ん中にこんな広い場所を残す奈良市政府と奈良市民の歴史文物を保護していきたいその心なのだ。
この平城宮跡に一番目立つものはなんといっても"朱雀門"だ。当時、このような門は12あったそうで、膨大な資金を費やして復元したのはこの"朱雀門"だけだ。そして、現在この平城京のメイン建築物の第一次大極殿を復元しており、平城遷都1300年の西暦2010年までの完成を目指して復元整備が着々として進めれている。総工事費は190億円だそうだ。
2010年にここで平城遷都1300年を記念する様々なイベントが行われる計画だそうで。
「春日山原始林」
今度の奈良取材で一番感心をしましたのは、あの世界文化遺産「春日山原始林」である。奈良市郊外に300ヘクタールもある原始林があり、しかも天然な状態で保存されたとはだれも考えたことがないだろう。正直に言って一番びっくりしたのは、千年以上もこの山の樹木を伐採したことがなかったということだ。そういえば、山には、樹齢400年以上、幹周り9m以上の巨木はいたるところにあり、珍しい動物の生息も確認されていることから、奈良市民の環境保護意識の一端を垣間見ることができた。
この「春日山原始林」は「文化的景観」として世界遺産に登録されている。この広い面積にわたる世界遺産の管理や保護に当たっているスタッフは60人ほどだが、山道がよく整備され、休日には静けさ、新鮮な空気を求める県内外からの人々が多い。
世界遺産「春日山原始林」の樹木が伐採されず、いつまでもこのような状態にしてもらいたいと思う各国の記者たち。
奈良への取材は大変短く、中国の言葉を借りて言うと、「走馬看花」(馬を走らせて花を見る)のようなものだが、深い印象に残る取材だったと思う。機会があればまたこの日本の古都奈をもう一度ゆっくりと見てみたい。(2005年11月)
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