秋は食欲の秋、スポーツの秋、また文化の秋などともよく言われます。秋となると、日本各地の小中学校や大学では各種のイベントを行います。度々日本を訪れたこともあり、日本で短期留学をしたこともあったが、上述のイベントをこの目で見たことがなく、当然参加したこともなかった。
先日、日本の大学の友人に誘われて、開催中の大東文化大学大東祭を見てきた。大東文化大学は大東文化学園によって運営されているが、この大東文化学園は大正12(1923)年創立され、すでに80余年の歴史と伝統を擁する。もともと、アジアへの大きな関心の中から創立された大東文化学園は、一貫してその関心を学問として指向してきたが、アジアに関心の高まるこの時代に、学園の役割はますます大きくなっている。
中国や韓国など外国留学生の数も400名をこえているそうだ。更に地球全体の規模で国際化が進んでいる中で、東洋文化を基盤に、東西文化の融合をはかり、新しい文化の創造を目指す建学の精神にのっとり、アジアはもとより、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアなど、全世界の大学や高校と交流協定を結んでいる。
学園のキャンパスは、東京都内の板橋区と自然環境に恵まれた埼玉県東松山市にあり、私が取材に出たのは埼玉県東松山市のキャンパスで、その美しいキャンパスと充実した教育施設は強い印象を残してくれた。
大東文化大学のキャンパスに近づくにつれ、大学生たちの元気溌剌とした声が大きくなり耳に入り、すでに過去形となった学生時代を思い出てしまい、懐かしくて仕方がない。その一方、少し感傷的な気持ちにもなる。30年前のことだ。"光陰は矢のごとく"という言葉が頭に浮かんでくる。私の学生時代はどう過ごしたかとつい考え込んでしまう。"いらっしゃい、この焼きそばは如何でしょうか"、"鉄板焼きはおいしいですよ"と学生たちの大きな売り声は私を現実の世界に引っ張り戻した。
目の前に各サークルの出店がずらりと並べられ、90以上もあるそうだ。色鮮やかな服装を身にまとった大学生らの手により、美味しそうな焼きそばや好み焼き、餃子などの軽食が出来上がり、食欲をそそった。"この焼きそば、如何でしょうか。学校一ですよ"と女学生に勧められ、友人は焼きそばを買った。"美味しい。普段食べた焼きそばより、ここのが美味しい"と友人が言う。
ここで、韓国の民族衣装を着た韓国人留学生と会った(右の写真)。日本語がぺらぺら、その衣装を見なければ韓国人とも誰もが思わないだろう。聴いたところ、4年前に日本に来て日本語を勉強しているという。なるほど、言葉の勉強は私たち中国人がよく言う学習環境が必要だ。生きた言葉がこの環境でしか覚えられない。彼女たちは大東文化大学で勉強中の中国の学生も沢山いると聞いて、会ってみたいと言ったら、探してくるとある韓国人留学生が探しに行った。さっきまでここにいたのに……といいながら戻ってきた。残念だった。どこの国の記者ですか、との質問に中国だと返事すると、隣で美味しそうに焼きそばを食べている4人の学生が寄ってきた。谷藤陽子さん、台湾の学生、磯部仁美さんと古谷諭さんだ(左の写真)。そのうちの一人は"中国ですか、私、中国の大学で一年勉強しました"と自己紹介した後、中国で話してくれた。彼女は谷藤陽子さんと言い、中国語に興味を持ち、中国に渡って00年間中国語を勉強したという。中国語って、四声が難しくて中々マスターできないと隠さずに聞かせてくれた。私は放送の周波数や中国国際放送局のインターネットアドレスが印刷してある名刺を渡したところ、非常に喜び、これから聴いてみると約束した。
活気にあふれるキャンパスを回ってみた。どこへ行ってみても、学生たちの笑顔また笑顔。この笑顔を、学校以外のところでは中々見ることができないと自分勝手に思った。この日のために作ったステージでは軽音楽サークルの皆さんが歌う歌は素晴らしくもともと音楽好きの私はしばらく聞き入ってしまった。
不用品を売っている学生もいた。筆記具、アクセサリー、中古CDと古着など種類が実に多い。売って得たお金で好きなものを買うそうで、合理的だあと感心した。そうだ。卒業を迎えた中国の大学生も大学を離れる前に、不用品を売りに出すのだ。
大東文化大学のこの大東祭(学園祭)は今年で83回目となった。学園祭実行委員会の松崎加奈子委員長(右の写真)に聞いた。今年の学園祭は本校の学生のほかに、他の学校からの参加者もあるのは今年の特徴だ。去年副委員長で、今年は委員長として学園祭を組織し、自分の持つ能力を知ることができたとはっきり答えてくれた。日本文学を専攻している松崎さんは大学を卒業後、教職員の仕事に就きたいそうだ。
取材を終え、学校の通学バスに乗り、大東文化大学のキャンパスを後にした。ものを売る学生たちの売り声、元気いっぱいの歌声などがまだまだ響き渡っている。
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