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中日友好斉了会、創立40周年を迎えた
   2005-09-21 16:26:32    cri
 8月26日、中国友好団体「斉了会」は、北京を訪れました。

 「斉了会」は、日本のある団体の名前です。「チイラ会」と読みます。「チイラ」という言葉は、中国で団体旅行をなさった日本の方々は、「あれ、どこかで聞いたことがある」と思われるかもしれません。そうです。「チイラ」は、中国語で「斉了」と書き、「みんな、揃いました」との意味です。これは、人数の多いツアーが集合するとき、よく耳にする「ガイドさんの言葉」です。

中日友好斉了会四十周年懇談会に出席した皆様

友情のため、乾杯しましょう

 では、なぜ、この言葉を会の名前にしたのでしょうか。話は、40年前にさかのぼります。

 1965年、中国と日本は、いまだ国交正常化されていませんでした。当時の日本政府は、日本人の本来あるべき中国への関心や親近感に対しても冷水を浴びせかけるような態度をとっていました。しかし、当時の若者は、毛沢東主席が率いる人民中国をぜひ見たいということで、126人の第一回訪中学生参観団を結成し、8月12日、香港を経由して、中国大陸の地に足を踏みいれました。

 南の広州、杭の杭州、上海、北京の四ヶ所を廻って、各地で熱烈な歓迎を受けました。また、毛沢東主席をはじめ、当時の国家指導者たちとの面会も実現したそうです。

 半月余りの旅を終え、広東の深センから香港に入ったときのことです。若者たちの間に、訪中団のメンバーを中心とした友好団体を作ろうという思いが芽生えました。団体の名前は、旅の途中、みんなが何度も耳にした、「チイラ」。それで、「チイラ(斉了)会」が誕生したのです。

 その後、「斉了会」は、中日国交回復の1972年まで、八回も学生参観団を作り、800人以上は、自分の目で中国のことを見ることができました。そして、2000年、北京で斉了会創立35周年記念大会を行ったとき、斉了会の事務所を北京に設立することが提案され、ほどなく実現しました。

 今年、「チイラ会」は、40周年を迎えました。8月26日、チイラ会一行は、もう一度、当時の足跡を訪ねようと中国を訪問しました。

 北京に到着後、さっそく「中国人民抗日戦争記念館」を見学しました。その夜、中国の友達や「チイラ会」北京事務所のメンバーたちが一堂に集まり、懇談会を開きました。

田中健生団長(左一)、思い出話を語る

席振寰氏(右)、中国側を代表して挨拶する

 席上、田中健生団長は、昔を振り返りながら、こう語りました。

 「約八百名の学生は、八年間かかって、中国を訪問し、それぞれのところで、熱烈な歓迎を受けました。当時の日本政府は、国交樹立が回復されていない中国を訪問することに難色を示しました。そういう情況の中で、訪中の実現ができたのは、中国の皆様の情熱と私達の団結のちからだと思います。あれから、それぞれ学校を卒業して、社会に出て、各分野で活躍しているのですが、中国に関わる仕事についている人もいますし、直接中国に関係ない分野で活躍している人もおりますが、それでも、いつも心の中に、日中友好を念じている人ばかりではないかと思います。

 歴史革命博物館を見学して、懐かしい毛沢東主席、周恩来総理をはじめとする多くの国家指導者とお会いしました。お人形さんですね。肩書きには、必ず「抗日戦争当時の○○でした」というように書かれておりました。将来は、周恩来総理や郭沫若さんなんかには、「中日正常化に努力した」、「日中友好に努力した」というような肩書きを入れてもらえる時代になればいいなと思いました。

 これからも『斉了会』が日中友好の力になるようにあせらずゆっくりとがんばっていきたいというふうに思います。」

 田中団長は、挨拶の中で、歴史革命博物館とおっしゃっていましたが、それが抗日戦争記念館のことです。また田中さんは、1965年中国を訪問したときに面会した当時の指導者の一人、彭真さんの話を思い出して、こう語りました。

 「1965年の時、彭真さんは、『あなたがた、中国旅行されていますけど、中国の人は、あなたがたに危害を加えていませんか?中国人民も日本人民も日本軍国主義の被害者です』と。」

 実は、斉了会は、2002年、総ページ数466ページにのぼる本を出版しました。書名は、『「斉了!チイラ!」??文化大革命期に中国を旅した若者たちの30周年』です。

 その1ページ目に、当時の中華人民共和国駐大阪大使級総領事の王泰平氏は、「勇敢な開拓者たちに敬意を」という文章の中で、こう書き記しました。「1965年チイラ会訪中友好参観団のお世話をさせていただいた一員として、日本の友人の皆様と非常に楽しい時間をすごしたことがありましたから。その時、まだ世間しらずの一大学生で、チイラ会の訪中の意義について深く認識することができませんでした。しかし、振り返ってみると、中日関係の非常に厳しい時代にチイラ会の友人の皆様が訪中したことは、本当に並大低ではありませんでした。きっと多くの困難を乗り越えて、はじめて実現しただろうと思います。皆様は、勇敢な開拓者であり、中日国交正常化の実現とその後の中日関係の発展に歴史的な貢献をした人であるというべきです。」

 斉了会の中国の古い友人たちは、その点について、同じ感想をもっているようです。懇談会では、当時、中国国際旅行社総社・日本部部長を務めていた席振寰氏が中国側を代表して挨拶し、「かつて周恩来総理はおっしゃいました。水を飲む時、井戸を掘った人の恩を忘れてはなりません。毛沢東主席、周恩来総理、田中角栄首相は、みんな井戸を掘った人です。そして、チイラ会メンバー800人も、井戸を掘った人なのです。あの時は、中国を宣伝しようとすることも、非常に困難な時でした。そのとき、中国をご訪問した方たちは、日本に帰った後、中国を宣伝し、そして中日友好にために多大な仕事をなさいました。ですから、チイラ会の友人たちに深く感謝しております。」と述べました。

 今回の訪中団の副秘書長を務める、日中旅行社の佐藤ナオさんは、中国吉林市で生まれた日本人です。生まれたところは、どんなところなのか一度見てみたい・・そんな思いで、かつて参観団に加わりました。卒業後、旅行社に勤め、ずっと代々の学生訪問団を見守ってきました。

 佐藤さんは、こう語っています。

 「その時、吉林市に行かなかったですが、友好交流に携わることをしたいということで、日中旅行社で働くことになりました。自分は会員ですけど、また、新しい人を送り出します。。。実際中国に行って見ると、日本で報道されているような中国とやっぱり違います。ここに住んでいる人と話をしたり、食事をしたり、いろいろ交流すると、そこから友好関係が生まれます。。。」

 晩餐会で、両国の友人達は、杯を交わし、思い出をいっぱいいっぱい話し合いました。誰かが60年代に流行っていた懐かしい中国の歌を口ずさんで、やがて皆で盛り上がって大合唱となりました。

通信
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