全聚徳
北京料理の代表は、何と言っても「北京ダック」と「シャブシャブ」。その北京ダックをなべるなら、何と言っても、ここ、全聚徳。炉に掛けてアヒルを焼くのだが、表皮にはカラメルを塗る。胴体には水を注ぎ込む。外は焼き、中は煮る。こうして焙ることで、外側はパリッと、中は柔らかくなる。焼くときに使う燃料は果樹に限られる。なかでもナツメがよいのだそうだ。 これを独特の味噌をつけネギと一緒に小麦粉の皮で包んで食べる。 焙られた脂とネギのツンとした香りが口の中で広がる。 全聚徳の創業は清朝・同治三年(1864年)、140年続いていることになる。和平門と王府井に支店を持つ。
便宜坊
「便宜坊北京ダック店」の歴史は、「全聚徳」よりも古い。1855年の創業(全聚徳は1864年)。人気の点でも、便宜坊が全聚徳をはるかに勝っていた時期もあったという。 そもそも、この二つの店は、製法の上で大きく異なっている。 便宜坊の製法は、密閉した窯の中でアヒルを燻る。明の北京遷都とともに江南地方から伝わった方法である。その意味では、北京ダックの原型は「便宜坊」にあるといえる。 一方全聚徳では、開いたまま炉で焙る「挂炉式」。この方式は、清の皇宮からスタートしたものと言われる。 江南・明方式の便宜坊か、清の全聚徳か。どちらが美味いか食べ比べてみるなどというのも一興か。
彷膳飯荘
創業は1925年。 宣統帝溥儀の退位は1912年であるが、溥儀はその後も大清皇帝の尊号を与えられ、紫禁城に住む。彼が、紫禁城を追われるのは、1924年。それは、小規模ながら朝廷も存在した。それは、宮中に務めていた料理人の失職でもあった。 宮中の台所で勤めていた趙仁斎は、1925年、職を失いやむなく北海公園の湖のそばで小さな料理屋を始めた。宮中の厨房で働いていた料理人を何人か連れてきて、宮中をまねた料理を何種類か作らせてみた。 これが、膳を彷(まね)るという名の由来であり、創業の経緯でもある。 現在は、用意できる宮廷料理の種類は800に及ぶ。なかでもパー(手偏に八)鶏は創業以来の自慢料理である。鶏を丸ごとネギと一緒に蒸したもの。そのほか「海紅魚唇」「鹿茸三珍」などが有名。
沙鍋居
創業は1741年。もとは大きな鍋で豚を丸ごと煮て料理を作っていた。いまでも、豚肉を使った鍋に定評がある。「沙鍋白肉」「沙鍋鶏塊」「沙鍋豆腐」「什錦沙鍋」「沙鍋白腸」「沙鍋白肚」など。
鴻賓楼飯荘
中国には、「清真料理」と呼ばれるジャンルがある。モスリンである。イスラム教徒向けの豚肉を使わない料理である。元々は回族などのためのものだが、羊料理など、一般の漢族にも人気のある料理が多い。 創業は1853年というから相当に老舗である。天津で始め、北京に越してきたのは1955年。「全羊席」という料理がある。鴻賓楼飯荘では、一頭の羊を使い、128種類の料理を作る。 かつて、郭沫若が一首の詩をこの店に贈った。曰く、 鴻雁来時風送暖 賓朋満座勧加餐 楼頭赤幟紅於火 好漢従来不畏難 各句の最初の一文字をとると、「鴻賓楼好」となる。
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