法門寺は西安から138キロ離れた扶風県の北部にあり、後漢の恒帝と霊帝の時代(147ー89)に建立された寺です。寺の境内には塔があって、法門寺はこの塔のある寺として有名です。
後漢時代から北魏時代まで、この寺は阿育王(アショカ)寺と称されました。アショカ王は古代インドの王で釈迦牟天が入寂(亡くなること)した200年後、(前272?前226)仏の骨(仏舎利)を八萬八千四百に分骨して世界各地に塔を建て供養したと伝えられています。中国では19基の仏真身舎利塔が建立されました。法門寺塔はその中で第五基といわれています。
隋の文帝開皇三年(583年)にこの寺は成実道場と改名され、唐の高祖の武徳七年(624年)に法門寺と名付けられました。
法門寺塔は最初四層の木造でしたが、明代に潰れてしまったので、明の神宗は万暦七年(1579年)にこの塔を十三層の煉瓦造りの塔に造り直しました。塔の高さは54mあります。塔の二層目から十二層までそれぞれ各層に八つの仏壇があり、その中にそれぞれ銅製の仏像と菩薩像が一体ないし三体安置されています。合計104尊あり、大部分の仏像は背中に文字が刻まれていて、刻銘の内容によって、これらの仏像の奉納者は主に明代の官僚であったことが分かります。仏像のそばに南宋と元の時代の写本の経典と復刻の経典が置かれていました。
法門寺は長い間皇族の御用寺院として歴代の皇帝が祀られています。北魏の時代にその塔の地下宮を開いて釈迦の指の仏舎利を見せたことがあると伝えられています。唐代のほとんどの皇帝が仏教を崇拝し、方門寺の仏骨を何回も宮廷に迎え盛大な行事を行いました。言い伝えによれば、法門寺唐の舎利は三十年毎に開帳されたそうです。
しかし、唐代の末期から沈黙しつづけました。その唐の地宮に納められた釈迦牟尼の真身仏骨の舎利や歴代の皇帝が供養した金銀などの宝器は人々には容易に想像できない秘蔵の逸品となっています。
法門寺での発見は国外にも中国文化の栄光を示しました。また、世界に仏教界においても喜ばしい大きな出来事でした。法門寺からの出土品を完全に保存するために法門寺博物館が建てられ、今日、博物館で数多くの珍品を見学できます。
住所: 陜西省宝鶏市扶風県
電話: 0917?5254152
入場時間: 8:00?18:00
入場料: 20元 (法門寺博物館 18元)
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