劉徳曇さん、四川省什ホ(方に阝)市旺鎮出身。
記者は19日の朝、負傷して入院中の劉さんを取材に行きました。劉さんは16日に救出されて324病院に収容されていたのです。
5月16日の午後6時半、それまで100時間以上も生き埋めにされていた劉さんは、解放軍兵士に救出され、やっと自分の親族と会いました。救出されたとこ劉さんはかなり衰弱していて、しゃべることも出来ませんでした。しかし、劉さんの目は自分の左腕から離れませんでした。そこで娘さんが、劉さんお左腕を見ますと、腕には「王さんから3000元を借りた」という遺言が書いてあったのです。その後劉さんは意識を失いました。
5月17日の朝、意識を取り戻した劉さんは、娘さんに「もし私が死んでいたら、左腕にかかれたのが私の遺書だった」と言いました。
劉徳曇さんは四川省什ホ(方に耳偏)市旺鎮の出身で、工場の職員です。地震が起こった時、ほかの3人の同僚とともに生き埋められました。何時間も経って、救援が来なかったです。絶望した劉さんは、動ける右手で、ポケットからボールペンを取って、左腕に「遺書」を書きました。
劉さんは、「遺書を書いて、なんとなく安心した」と記者に教えてくれました。
これは、四川大地震で起きた「正直者の劉さんの物語」です。
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