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秋は読書の季節、文化の季節。これにちなんで、今月はジャーナリストで、古代史研究家いき(壱岐)一郎さんの古代史教室を三回シリーズでお届けすることにします。
一回目の今週は、いち一郎さんの自己紹介と古代史研究をする時の問題意識などを伺います。
自称「古代華僑」のいきさんは、「壱岐」という苗字のルーツについて、「中国西安からの柳さんの子孫。いま、日本には1600人から2000人ぐらいしかいない」と言います。
中国との切っても切れない縁を背負って生まれたいきさんは、「徐福」の研究者でもあります。
今から2200年前に、秦の始皇帝の命で不老長寿の仙薬を求めて、5000人の童男童女を東のほうに派遣したという言い伝えは、単なる伝説に過ぎないのか、それとも史実なのか。徐福研究に見える中国人学者と日本人学者の着目点の違いは何か。
いきさんたち市民派歴史勉強会の成果として、昨年、ミネルヴァ書房から『ゼロからの古代史事典』が出版されました。いき一郎さんと仲間十数人が十数年かけて書き上げた著作です。中国の史書にある古代日本の記録を掘り起し、中国大陸や朝鮮半島との人的、文化的つながりに着眼した新たな古代史像を紡ぎだそうとする試みです。「優れた古代史は優れた現代史でもある」といういきさん。この本に寄せた思いは?
ぜひ番組をお聞きください。(王小燕)
壱岐一郎(いき・いちろう)さん
1931年東京都生まれ。東北大学法学部卒業後、九州朝日放送で30年勤務。その後、北京放送勤務を経て東海大学、沖縄大学で教べんをとる。日本記者クラブ会員。
主な著書
『北京放送365日』河合出版(1991)
『国が共犯!日中米4大事件+3・11』かもがわ出版、
『中国正史の古代日本記録』(葦書房)
『新説 日中古代交流を探る』(葦書房)
『扶桑国は関西にあった』(葦書房)(1995)
『徐福集団渡来と古代日本』(三一書房)(1996)
『藤原不比等』(三一書房)(1997)
『継体天皇を疑う』かもがわ出版
『映像文化論・沖縄発』(2000)
『ゼロからの古代史事典』主編(ミネルヴァ書房)(2012)
映像ードラマ3本、ドキュメンタリー5本、NHK・BSテレビ生紀行1本、ほか。
いき一郎さんの
【中国史料による意外・日本古代史】抜粋その①
6世紀 仏教時代の開花
日本列島の仏教伝来は関西中央部では538年(上宮聖徳法皇帝説)、552年(日本紀)とされます。この時代の仏教は巨大な国際文明で信仰、学芸、経済、工業、医薬学、食物など社会全般に革命的影響をもたらすものでした。
宗教の伝来について考えるとき、公伝と「民伝」の意味を考えておきたいと考えます。通常、公伝に意味があるとされますが、実際の伝道には民間の役割が大きいのです。しかも実際に最初に得度するのは渡来人、女性ということにも注目しておきたいと思います。日本書紀はその事実を記しますが、一方、関西では鞍作鳥仏師、筑紫では北魏皇子が英彦山で開基したと伝えます(豊前国志)。これらの場合、仏師や皇子は小人数で列島へ移住したのではないでしょう。亡命者で数百の集団だったと考えるほうが道理に合います。北魏滅亡時、大集団の移住があったとしておきましょう。
この時期が筑紫の磐井の「乱」と重なっているのも理解しにくいことです。1979年、井上光貞教授を中心に松本清張司会で開けれたシンポジウム「古代国家の成立」では磐井の乱も乱とは言えないとされました。6世紀初めに古代国家成立の可能性があるというものでした。
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